Jリーグで化けたW杯の注目FWテテ・イェンギ 完全無印25歳が町田加入4カ月で豪代表のキーマンに

大島和人

テテ・イェンギは強化試合スイス戦で豪代表初出場を飾った 【Photo by Dave Bernal/ISI Photos/ISI Photos via Getty Images】

 FIFAワールドカップ2026(W杯)には世界48カ国から、1248名の選手がエントリーされていて、そのうち7名がJリーグの所属だ。内訳は日本が3名、韓国とオーストラリアが2名ずつ。世界に億単位でいる競技者の中から、W杯に出場できるのは特別な才能と幸運に恵まれたエリートに限られる。

 テテ・イェンギ(FC町田ゼルビア)はオーストラリア代表に招集されたFWで、6月14日13時開始(日本時間)のトルコ戦を控えている。2026年1月末に町田へ加入し、その後のJ1百年構想リーグとAFCチャンピオンズリーグエリート(ACLE)で好プレーを見せていた。アジア2位への躍進も彼なくしては成し遂げられなかっただろう。

 しかし25歳の彼は、U-17、U-20のような育成年代も含めて、今まで一度も代表チームに入ったことがなかった。つまり極めつきの「無印」だが、親善試合でなく本大会のメンバーにいきなり入った。6月7日(現地時間6日)の強化試合スイス戦では先発し、ゴールも決めている。それはJリーグファンにとっても、オーストラリア国民にとっても、大きなサプライズだろう。

 この大型FWの獲得に尽力した町田の原靖フットボールダイレクター(FD)の証言をもとに、“テテ”の「成り上がり」を振り返りたい。

本命は「兄」だった

 この冬の町田にとって、センターFWの補強は急務だった。まず昨季まで前線の屋台骨を担っていたミッチェル・デューク、オ・セフンがいずれも移籍の意向を示していた。

 W杯はサッカー選手なら誰もが目指す夢の大舞台だ。原FDはこう説明する。

「出場実績について代表監督から言われることもありました。それも尊重すべきだということで、苦渋の選択でしたが移籍を受け入れました」

 とはいえ、二人はオーストラリアと韓国とそれぞれの代表経験を持つFWで、代役が簡単に見つかるものではない。すぐ馴染める可能性が高いのは日韓の選手だが、町田が望むレベルの実力者に程よい候補はいなかった。単純にヨーロッパでプレーしている選手を冬の移籍期間にJクラブが獲得することは難しい。

 それなりのリーグでプレーしている、予算の範囲内で獲得可能なFWを探している中で、原FDが最初にアプローチをかけたのはクシニ・イェンギ。現在はセレッソ大阪に所属していて、奇しくもテテ・イェンギの兄だった。

「一定レベルの代表で獲得できるのはオーストラリア、日本、韓国といった国ですが、日本と韓国は難しかったです。所属リーグは(イングランドの)プレミアやチャンピオンシップ、ブンデスリーガ1部が当然いいですけど、それも難しい。違約金(=移籍金)がもう手の届かないくらいになってしまうからです。ただスコットランド1部のアバディーンに、オーストラリア代表経験のあるクシニ選手がいました」

 クシニ・イェンギは27歳で、190センチ・93キロの大型FWだ。オーストラリア代表では通算11試合に出場し、6得点を決めている。

「クシニ選手についてデュークや、代表関係者に聞きました。アバディーンに行って、関係者とも話しました。(2025年)12月30日から2週間くらい、試合も見ながらスコットランドにいたんです。借りるときはどのくらいの金額かも含めて(交渉を)やっていました」

 当初は町田入りに前向きだったというクシニだが、まもなく獲得の「ライバル」が現れる。それがC大阪だった。同クラブのアーサー・パパス監督はオーストラリア人で、代表監督のトニー・ポポヴィッチとも関係が近い。W杯出場を目指すクシニにとって、町田以上に魅力的な選択肢だったのだろう。クラブ同士の交渉は順調だったが、最終的に本人が首を縦に振らなかった。

「弟がいるのは知っていました。アバディーンの人も『兄貴がダメなら弟がいるから』というようなことを、冗談めかして言っていました。でも、それは冗談だったんです」

 もっとも「町田が大型のセンターFWを探している」という情報は弟に伝わっていた。

まったくの無名選手

現地でミーティングに臨んだ原FDとテテ・イェンギ 【原靖FD提供】

 イェンギ兄弟は南スーダン出身の父と、英国出身の母を持ち、オーストラリア・アデレードで育った。18歳でAリーグの強豪アデレード・ユナイテッド入りした兄と違い、弟は20歳までセミプロの「アデレード・コメッツ」止まり。英国に渡ったあともU-23チームやEFLリーグ2(実質4部)のクラブを転々としていた。

 2023年にスコットランドのリヴィングストンに移籍し、2023-24シーズンは31試合5得点の成績で1部昇格に貢献していた。とはいえリヴィングストンはエレベータークラブで、決して強豪ではない。要は「無印」「ノーマーク」だった。

「テテが『絶対に日本でチャレンジしたい』と言っている情報が入ったんです。それでテテのことも調査し始めました。ただ弟は兄のようなスター選手ではないし、一回も世代別代表に選ばれていません。まったくの無名選手です」

 スコットランドリーグは1部でも上位チームと下位チームの実力差が大きく、リヴィングストンは2025-26シーズンの1部最下位。「スペック」だけを見れば、J1の上位クラブが獲得するような選手ではない。

 原FDはキャンプ期間中に帰国し、藤田晋社長や黒田剛監督とも打ち合わせた後、再びスコットランドに向かった。今度の目的地はアバディーンでなく、リヴィングストンだった。

「彼のトレーニングを見て本人、チーム関係者と同時に話をしていました。弟は(体格が)尋常でない大きさでしたし、向こうでもボールがしっかり収まって、攻守の切り替えをガツガツやっていました。実際に見て『弟もなかなかやる』と思ったのは事実です。でもテテの性格はデュークも、代表の関係者も知らないんですよ。『弟はすごく大きい』という話だけでした」

 197センチの身長は、スコットランドでも「超大型」だ。別の角度から、テテの獲得を推した“無関係者”がリヴィングストンにはいた。

「笑い話ですけど、リヴィングストンでタクシーを拾ったとき、運転手にクシニとテテの話をしたらいろいろな理由を挙げて『弟の方がやるよ』というんです。サッカー人気の高いスコットランド、流石だなと思いました(笑)」

 何より本人が町田入りに対してハングリーだった。かくしてテテの来日が実現する。2026年6月30日までの期限付き移籍だが、設定した金額を支払えば保有権を手に入れられる「買取オプション」を町田が持つ内容の契約だった。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、バレーボール、五輪種目と幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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