広報はオンライン化にどう取り組んだか? スマートフォンとSNSで激変した取材現場
福士一郎太に与えられた新たなミッション
現役時代は1982年のワールドカップ(W杯)にユーゴスラビア代表として出場し、指導者に転じてからはフランスのクラブやアフリカのナショナルチームを指揮。とりわけアルジェリア代表を率いた2014年W杯では、この大会で優勝したドイツを最も苦しめたことが大きく評価されていた。
2018年のロシア大会に向けて新体制が整う中、JFAのコミュニケーション部には心強いメンバーが加わることとなった。2002年から06年のジーコ体制、そして2008年から10年までの岡田武史体制でメディアオフィサーを務めた、福士一郎太である。技術部から古巣に復帰となった福士だが、求められた仕事はメディアオフィサーではなかった。
「最初は『コミュニケーション部』、その後は『コミュニケーション部PRグループ』、さらに『プロモーション部デジタルグループ』と部署名は変わりましたが、やっていたのはデジタルやSNS周り、あとはオウンドメディアでしたね」
JFAがデジタルやSNSによる発信に、より力を入れるようになったのは、メディアを取り巻く急激な時代の変化があった――。そう、福士は語る。
「僕が最初に代表広報をやっていた2000年代前半は、翌朝のスポーツ紙を読むとか週刊(専門)誌の発売を待つという時間の流れだったんです。でも2010年代に入ると、SNSで断片的な情報がどんどん流れていって、それに対するリアクションもすぐ返ってくる。情報の消費スピードそのものが、まったく違う時代に入っていました」
実際、この頃にはTwitter(現X)、Facebook、Instagram、YouTubeといったSNSやプラットフォームが急速に浸透し始めていた。新聞やテレビを経由せずとも、情報は24時間止まることなく直接ユーザーへと届く。
それはすなわち、長年にわたって日本代表広報が前提としてきた「メディアを通じて届ける」という構造そのものが、大きく変わり始めていたことを意味していた。
「もちろん、新聞やテレビの力がなくなったわけではないです。けれども、待っていれば誰かが届けてくれる時代ではなくなっていた。ですからJFAとしても、自分たちで発信することを真剣に考えなければいけなくなったんです」
もっともJFA自体は、比較的早い段階から、デジタルによる自前の情報発信には取り組んでいた。公式サイト『JFA.jp』は1997年1月にオープンしているし、公式Twitterは2009年9月、公式YouTubeは11年3月に開設されている。オウンドメディアの必要性について、JFAはかなり早い段階から認識していたことがうかがえる。
ただし、当初は既存メディアを補完する意味合いが強かった。風向きが一気に変わったのが、2015年あたりである。この年の6月、JFAがInstagram公式アカウントを開設。さらに11月には、ファン・サポーターからの投稿写真をJFA公式Webサイトのソーシャルハブやサッカー日本代表公式Facebookページで紹介している。
ちなみに前年の12月には、『JFA.jp』にて「日本代表年間スケジュール2015発表会見」をインターネットライブ配信している。ここからJFAの発信は、リアルな記者会見オンリーから、ウェブとのデュアルに進んでいったことがうかがえる。福士がコミュニケーション部に移動したのは、まさにそうしたタイミングであった。
デジタル化によって何が変わったか?
「技術部にいたことで、代表だけでなく育成年代や指導者養成、女子、審判、普及活動も含めて、JFAが何をやっているのかを知ることができたんです。ただし実際には、日本代表以外の活動って、あまり知られていなかったんですよね。そういったことを、もっといろんな人たちに知ってほしいという思いはありました」
福士が語る通り、JFAの活動は日本代表に関連することばかりではない。国内大会、育成年代、指導者養成、女子サッカー、障がい者サッカー、そして地域での普及事業。そうした領域は、主にサッカー専門誌が取り上げてきた。
しかしメディアの主流が紙からウェブに変わり、さらにPV至上主義が蔓延するようになると、地道なテーマが省みられなくなっていく。こうしたメディアの環境変化が「JFA自らが発信する」という使命感につながっていった。
そこで活用されたのが、前述の『JFA.jp』である。日本代表の関連情報だけでなく、育成年代の遠征や天皇杯、社会人などの試合結果、さらには指導者養成や審判講習会についてもフォロー。一般メディアが取り上げにくいテーマであっても、自分たちで企画し、自分たちで編集し、自分たちで届けられるようになった。
「単なる公式サイトだった『JFA.jp』が、オウンドメディアへと進化したことで、誰かに取材してもらわずとも、自分たちで直接届けられるようになったんです。自分たちの言葉で、自分たちのタイミングで発信できる。すごく大きな変化でしたね」
さらにこの頃から、急速に重要性を増していったのが、動画コンテンツである。JFA公式YouTubeチャンネルでは、日本代表だけでなく、各カテゴリーの映像も積極的に発信。さらには準決勝以前の天皇杯ライブ配信や、SNS向けのショート動画など、新しい取り組みも次々と始まっていく。
「受け手側の変化は大きいですね、動画はやっぱり強いですよ。文字だけでは伝わらない空気感もありますし、若い世代との接点にもなる。ですから『自前の映像を持つ』ということは、強力な武器でした」
もっとも、すべてが順調だったわけではない。苦笑まじりで福士は回想する。
「本当にトラブルをたくさん経験しました(笑)。地方会場で日曜日にライブ配信の30秒前に機材が止まったり、日本時間の夜中の3時に誤投稿してしまったり。今だったら炎上していたと思います。でも、当時はとにかく、やりながら覚えていくほかなかったですね」
特に難しかったのが、SNSにおける距離感。代表チームの舞台裏を見せれば、確かにファンとの距離は縮まるし、数字も取れる。しかし見せすぎれば、チームの集中力を妨げるリスクとなる。どこにラインを引くかは、スタッフ全員で常に頭を悩ませていたという。
「結局、何でも露出すればいい、という話ではないんですよね。何を出して、何を出さないか。その設計をするのも広報の仕事なんです。たとえば代表合宿。ファンとしては全部見たいけれども、チームには守らなきゃいけないものもある。その中で、どうバランスを取るか。そういったことは常に課題でした」
デジタル化とオウンドメディア化によって、広報の「設計者」としての役割は、より明確に求められるようになった。そして設計の対象もまた、これまでのように記者ばかりではなく、スマホを手にした一般ユーザーにまで広がった。取材現場からは見えない、無数のファンを意識することも、広報には求められるようになったのである。
「昔の取材現場は、ある意味、閉じていたんですよ。お互いの顔が見える関係性でした。けれども、今は違う。代表チームの空気も、発言も、表情も、すぐ外へ出て拡散されていく。しかも24時間、途切れることはありません。だからこそ、何をどう届けるのか、以前よりずっと意識するようになりました」