広報は「待ってくれない時代」にどう向き合ったか? ミックスゾーンの人数制限とアギーレの八百長疑惑
アギーレの「八百長疑惑」という修羅場
メキシコ代表として現役時代に1回、そして代表監督として2回のW杯経験があり、メキシコとスペインのクラブでも指揮を執ったアギーレは、それまでの外国人監督のなかで、最も「世界を知る男」であった。
「アギーレさんは当初、日本人をまったく信用していませんでした。メディア対応や撮影はほとんど断られました。それでも、われわれの仕事が認められるようになってからは、ぐっと距離感が近くなり、いろいろなことに協力的になりました。そういう意味では、素直でオープンな監督だったと思います」
そんなアギーレ体制に暗雲が立ち込める。ラ・リーガのサラゴサが2011年5月、残留を確実にするために資金を動かしたとされる「八百長疑惑」が現地で報じられ、スペイン検察は2014年12月に41人を告発。そのなかには当時、サラゴサの監督だったアギーレも含まれていた。
報道は、当然ながら日本にも飛び火。現役の日本代表監督のスキャンダルに、西澤は取材対応で矢面に立たされることとなる。「何が事実なのか。どこまで確認できているのか。JFAとしてどう考えているのか。いろんな問い合わせが来ました」と西澤。この問題が厄介だったのは、ピッチ外の案件だったことである。
「つまり、サッカーの話だけでは済まなかったんです。司法の話でもありますし、海外での話でもある。しかも、ネットでどんどん情報が拡散されることにも苦慮していました。以前だったら、整理する猶予がありましたが、ネット時代は数分で状況が変わります。『確認中です』という時間すら、なかなか許されなくなっていました」
JFAにとっては、2007年にイビチャ・オシムが倒れたとき以来の危機。ただし、当時の日本ではスマートフォン発売前でツイッター(現・X)も存在していない。それから7年後、代表監督の過去の疑惑によって、日本代表広報は「待ってくれない時代」の難しさに直面する。
当のアギーレは、この状況をどう受け止めていたのか。周囲には「心配するな、オレは潔白だ」と語っていたという。西澤はその言葉を信じ、目前に迫った2015年1月のアジアカップに意識を向けた。オーストラリアでの連覇がかかった大会は、人事異動により、メディアオフィサーとしての最後の仕事となることが決まっていた。
しかし結果は、準々決勝でUAEにPK戦で敗れ、ベスト8で敗退――。試合後、西澤はアギーレから「こんなに早く終わってしまい、お前の最後の仕事を飾ることができなかった。申し訳ない」と言われて驚いたという。しかし、さらに驚くべきことが、敗戦から11日後の2月3日にJFAから発表される。
「まさかの契約解除でした。僕は代表から離れることが決まっていましたが、アギーレさんは引き続き指揮を執ると思っていたので、この結果には驚きました」
その後、日本代表監督のポジションは、ボスニア・ヘルツェゴビナ出身のヴァイッド・ハリルホジッチ、そして西野朗に引き継がれていく。わずか10試合で終わったアギーレ時代は、急速に忘れ去られていくこととなった。当人の無罪が確定したのは、2019年12月のことである。
「ああいった経験をすると『広報って何なんだろう?』とあらためて考えるんです。結局、最後は現場なんですよね。どれだけ準備しても、想定外のことは起きる。そのときに、どう現場判断するのか。そこに広報としての本質が出るんだと思います」
日本代表の広報時代について、そう振り返る西澤。そして「いずれにせよ、長く続けられる仕事ではないです。それだけ負荷のかかる役割ですから」と言葉を継ぐ。
西澤の回想に耳を傾けると、いかにメディアオフィサーの仕事が過酷だったかがよく理解できよう。とはいえ、彼らが経験した混乱や葛藤は、決して無駄にはならなかった。
日本代表のメディアオフィサーは、それぞれの経験を引き継ぎながら、組織として支える体制へと移行しつつあった。その一方で、インターネットとSNSによって加速する「待ってくれない時代」への最適解が求められる、新たな時代を迎えようとしていた。
<翌日につづく> ※文中敬称略