広報は誰のために存在するのか? 代表チームとメディアをつなぐ役割
2010年の南アフリカ以後
岡田が選ばれた理由については、オシムが築いた土台を活かせる人材であること、そして強いリーダーシップと求心力があることなどが決め手となったようだが、翌年2月6日から始まるW杯アジア3次予選まで時間がないことも大きな要因となった。
オシム体制のメディアオフィサーだった永松太は、3次予選までは引き続き担当したものの、最終予選からはチームから離れることとなった。代わって福士一郎太がA代表の担当に復帰。当時を振り返りながら、永松はこんな胸の内をもらした。
「オシムさんは、とても面白いサッカーで南アフリカを目指していました。あのまま監督を続いていたら、一緒にW杯に行っていたんだろうなと。今でも時々、そんなことを想像することがありますね」
一方の福士もまた、任務をまっとうする前にチームを離れることとなる。岡田率いる日本代表は、無事にアジア最終予選を突破。本大会直前には、高地順化のためにスイスのサースフェーに合宿を張る。このとき、メディア関係者との親睦を深める「メディアマッチ」で、福士はアキレス腱を断裂する大怪我を負ってしまった。
「相手に削られたとかではなく、踏み込んだ足にバチンと来たんですよ。すぐに手術することになり、松葉杖とギブス、そして車いすが欠かせない状態になってしまいました」
「このままでは足手まといとなってしまう」――。福士はチームからの離脱を覚悟した。しかし「苦しい時を一緒に乗り越えてきたんだから」と、当時の総務が判断。南アフリカのキャンプ地、ジョージまでは同行することとなった。
「要するに『お留守番』なんですけど」とは当人の弁。試合に向かう代表チームを見送り、戦いを終えた彼らを迎える、そんな日々が続いた。
「現地のメディアもキャンプ地を取材に来る中、思うように動けない状態で、どう現場を回すかを考えなければなりませんでした。周りのサポートもありましたけど、自分の中ではかなりもどかしさがありましたね。それでも現場にいると、少しずつ手応えのようなものは感じていました」
この大会での日本は、グループステージを2勝1敗で2位通過。ラウンド16の試合会場はプレトリアに決まり、日本代表はジョージを引き払うこととなった。福士の役割も終了となり、ひとり帰国の途につくこととなる。結局のところA代表での彼の仕事は、第3戦のデンマーク戦が最後となった。
羽田空港に到着後、福士は日本中がW杯で盛り上がる光景に直面して、大いに面食らった。無理もない。大会前の日本代表は、直前の親善試合で敗戦が続き、まったく期待されていなかったからだ。結果として、パラグアイとのPK戦の末にベスト16で終わったが、岡田監督率いる日本代表は凱旋に近い形で帰国することとなる。
「正直、あそこまで行くとは思っていなかった部分もあります。環境的にも厳しかったですし、出発の際見送りに来たサポーターは、10人もいなかったですよ。それくらい、周囲の期待も決して高くはなかった。でもその分、チームとしての一体感は、間違いなくあったと思います」
福士にとって、この大会は日本中が盛り上がるという達成感が得られた一方で、どこか距離のある経験でもあった。現場にいながら、現場のすべてに関われたわけではない。思うように動けない中、広報として何ができるのかを問い続ける日々でもあった。
それでもなお、現場は回り続ける。チームは進み、メディアは動き、試合は行われる。そんななか、ふと原初的な疑問が浮かぶ。広報は誰のために存在するのだろうか。
現場から立ち上がったメディアオフィサーという職能
まず確認したいのは、日本代表の広報という職能は、ハンス・オフトが監督に就任する以前の日本代表には「不要だった」ということだ。1992年以降、アジアカップ優勝やW杯アメリカ大会予選の過程で、日本代表を取材するメディアの数が激増。現場の必要に応じて、報道担当の機能が求められ、試行錯誤の中で整備されていった。
しかし当初、日本では誰も経験をしたことがなく、そのポジションに求められる明確な役割を誰も知らなかった。そして、その機能や職責、業務内容は、後付けで成立した仕事であった。初代メディアオフィサー、加藤秀樹は語る。
「最初は本当に、自分の立ち位置も明確ではないし、何が正しいのかわからなかった。正解を知っている人もいなければ、前例もない。何十人、時には百人近い方が取材に来ていただいている中で、どのようなことが必要なのか、その場ですべて判断するほかなかった」
そんな状態から広報、すなわちメディアオフィサーの仕事は始まった。現場は日々、変化する。ゆえに、画一的に運用するのではなく、「柔軟に判断する」ほかなく、その判断には絶対的な正解が存在しない。まさに禅問答のような状況での試行錯誤が続く。
「もちろん、100人の方全員に100%満足していただくことは不可能です」と加藤。その上で彼が強調するのが「経験や人間関係を積み上げていくことが大切」ということだ。
「広報に限らない話ですが、経験や信頼というのは積み重ねられていくものだと思います。監督や選手からも、メディアからも、日々の仕事を通じて信頼されるようになることが大事。ただし、ひとつの間違いで全部が崩れてしまうこともあります。ですから、常に状況を俯瞰して見た上で両者のバランスを判断することが、すごく重要になるんです」
この「判断」と「積み重ね」という感覚は、加藤の後輩たちにも受け継がれていく。今度は福士に語ってもらおう。
「前職のPRの仕事は、いかに取り上げてもらうか、いかに露出を増やすかという発想でしたが、日本代表の広報は少し違いました。発信も大事なんですが、それ以上に『現場を整える』ことを重視していました。取材の流れや順番、タイミングをきちんと設計しないと、そもそも現場が成立しませんから」
広報とは、単に効果的に情報を発信する機能ではなく、チームの活動とメディアの要請とのバランスを考慮し、それぞれに快適な「場の設計」に関わる仕事である。何を出すかよりも、チームとメディア双方にとって良い環境を作り上げることだ。
チームには、試合に向けて集中してもらう。メディアには、よい取材をしてよい記事を書いてもらい、よい情報をファンに届けることができる状態を提供する。その設計ができていないと、現場は混乱し、情報はうまく伝わらない。
「ですから、チームのためでもあり、メディアのためでもある。どちらか一方だけに寄ることはできません。だからこそメディアオフィサーは、どういう立ち位置で、どうバランスを取るのか。それを常に意識するように心掛けていました」
福士が語った「バランス」という視点は、続く永松の証言とも重なる。
「どちらに寄りすぎてもいけないんです。チームに寄りすぎてもダメですし、メディアに寄りすぎてもダメ。そのときに何を優先するのかを決めて、その判断に責任を持つことが大事だと思います」
ただし、常に「中立」であればいい、ということでもない。状況に応じて優先順位を決め、その判断を引き受けることが重要なのだと永松は続ける。
「すべての判断が正しかったわけではないので、もちろん批判されることもあります。でも、そこで逃げてしまったら、この仕事は成り立たちませんからね」