スカウトが振り返る、あの年のドラフト指名

「まさかあんな凄い選手になるとは…」高卒ドラ3が2度のリーグMVP獲得 元広島スカウト部長が明かすドラフト秘話

永松欣也

高校生ドラフト3巡目で指名した千葉経大付の丸佳浩(写真中央) 【写真は共同】

 毎年多くのドラマを生むプロ野球ドラフト会議。あの年の1位はどのようにして決まったのか? あの選手をどのように評価していたのか? あの選手はなぜ指名しなかったのか? 1977年から2024年まで広島のスカウトを務め、数多くの名選手を指名してきた苑田聡彦氏に、スカウト部長に就任した2006年以降の選手指名秘話やドラフト舞台裏などを振り返ってもらった。

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投打の主力に成長したマエケンと會澤

狙ったとおりの指名となった前田(前列左から2番目)と會澤(後列左)は期待通りにチームの主力へ 【写真は共同】

 2006年は高校生と大学・社会人で別々にドラフトをやっていた時代で「逆指名」があった最後の年ですね。この年の高校生ドラフトではPL学園の前田健太(現・楽天)を単独1位で指名しています。

 担当は宮本洋二郎さんで、私も2回見に行きましたが、練習を見ていても「練習が好き!」ということが伝わってきたことをよく覚えています。球速は140ちょっとくらいでそんなに速いわけでもなかったですが、手元でピュッとくるボールのキレがありました。コントロールも良くてインコースをきっちりと攻められる。右バッターのインコースにシュートは気持ちがないと投げられないものです。シュートがあってカーブも抜群に良い。こういうピッチャーは大体大成するんです。あとは走る姿が良かったですね。入団してからもよく走っていましたし、長距離走が速くてビックリしました。小さい頃からたくさん走ってきたんでしょうね。

 カープの指名選手を最終決定するのはオーナーです。この年はオーナーが駒大苫小牧の田中将大(楽天1位/現・巨人)と前田のビデオで見て「前田の方が良い」となりましたし、宮本さんも早くから前田に惚れ込んでいましたから、この年のカープは早くに「1位は前田!」と決めていました。

 3巡目で指名した水戸短大付属(現・水戸啓明)の會澤翼は肩が強かったですね。私が見てきた高校生キャッチャーの中では、江の川(現・石見智翠館)時代の谷繁元信(1988年大洋1位)以来の肩の強さでした。リードもインサイドを強気に攻めたと思ったらうまく外角も使う。気持ちのこもった、ピッチャーの良いところを引き出すリードができる。打つ方ではホームランバッターでしたけど引っ張るばかりじゃなくてセンター方向にも打てる。

 でも周りの人に會澤のことを聞いたら「苑田さん、あれは止めた方がいいですよ」と言われました。ちょっとやんちゃな面があるということで、あんまり良い話を聞かなかった(笑)。でも試合を見ている限りではそんなふうには全く見えなかったですしね。

 高校生ドラフトの前田と會澤は狙ったとおりの指名でした。2人とも順調に成長してチームの主力になってくれましたね。

 他球団の1位には、後に巨人の主力になって2000本安打も達成する光星学院(現・八戸学院光星)の坂本勇人もいました。でもカープのショートには1年目の梵英心(2005年大学・社会人3位)がいてバリバリやっていましたからスカウト会議ではそんなに名前は出ていませんでした。うちはどんなに騒がれている選手がいても「今年はこのポジションの選手は必要ない」と思えば一切獲りにいきませんでしたから。

 大学・社会人ドラフトでは、希望枠を使って28歳のホンダ鈴鹿の宮崎充、3巡目が25歳のトヨタの上野弘文でした。4巡目の日産自動車の青木高広も25歳。カープらしからぬというか、年齢の高いピッチャーを上から3人獲っています。

 宮崎と上野に関しては、実は私はノータッチなんです。これは監督のマーティー・ブラウンが即戦力ですぐに使える、パワー系のピッチャーを欲しがったからなのだと思います。もうカープを辞めたから言えることですが、私はブラウンとは合わなくてね(笑)。ちょっと頭にくることがあって、球団事務所でやりあったこともありました。そんな関係でしたから、宮崎と上野の獲得に関しては私を飛び越えてブラウンと(球団の)上の方とで決めたんだと思います。だからこの2人を上位指名した経緯は、私はよく分からないんです。

丸を「打者」として評価したのはカープと巨人だけ

「打者」として評価していた丸は後にMVPを2回獲得した 【写真は共同】

 2007年は逆指名がなくなり、高校生と大学・社会人を分けたドラフトも最後になった年ですね。高校生では仙台育英の佐藤由規(ヤクルト1位)、唐川侑己(ロッテ1位)、中田翔(日本ハム1位)の3人が騒がれた年で、広島は唐川を指名して外し、福岡工大城東の安部友裕を指名しました。

 オフには新井貴浩がFAで阪神に移籍しましたから、新井の後釜も欲しい時期ではありました。それでも中田を指名しなかったのは単純にピッチャーの方が欲しかったということです。エースの黒田博樹も同じタイミングでメジャーに移籍していましたしね。

 唐川は私が担当していました。唐川は真っ直ぐが速くて縦のカーブが良かった。前年に1位で獲った前田よりも真っ直ぐの速さと力は上。前田と唐川でカープの二枚看板になってくれればと思っての指名でした。

 唐川を外して野手の安部に方向転換したのは、この年の候補選手がそんなに多くなかったこともあり、投手、野手関係なく「残っている選手で一番良い選手にいこう」という理由からですね。野手に求めたのはまず守れること。次に足、肩。そういったことから安部でいこうとなったと思います。同じ内野手の外れ1位には阪神が横浜の高濱卓也、巨人が熊本工業の藤村大介を指名していますが、我々は総合的に見て安部の方を高く評価していました。

 3巡目が千葉経大付の丸佳浩(現・巨人)ですね。どの球団も来ていなかったですからこの順位で獲れると最初から考えていました。丸を「打者」として評価していたのは広島と当時巨人のスカウトだった長谷川(国利/現・東海大野球部監督)君くらいでしたから。

 丸はタイミングのとり方、ボールの引きつけ方が良くて軸がぶれないし懐が深い。それに足もある。ピッチャーとしての評価は厳しかったですが打者としては魅力がありました。

 良いバッターになるだろうとは思いましたが、まさかMVPを2回も獲る、あんな凄い選手になるとまでは思っていませんでした。性格的にも「やられたらやり返す!」という負けん気の強さがありましたし、ひたすら努力を重ねるような性格。本当によく練習をしていました。これはもう本人の努力の賜です。いくら野球の才能があってもちゃらんぽらんな性格だったり、ミスして「しゅん」としているような性格ではプロで成功するのは難しいですからね。

 若いスカウトにも、例えばピッチャーなら打たれたあと、バッターだったらチャンスで打てなかったあとの「ベンチに戻った後の態度をよく見ておけよ」と言ったものです。そこで落ち込んでいるような選手は「候補から外せ」ともよく言っていました。そういうことはデータだけでは分からないことです。だから現場に足を運ぶことが今も昔も大事なんです。

 大卒・社会人ドラフトでは3巡目で青学大の小窪哲也、4巡目で九州国際大の松山竜平を獲っています。小窪の担当は宮本さん。PLにマエケンを一緒に見に行った時に、OBの小窪が大学のオフ期間に練習を手伝いに来ていたんです。でも小窪は手伝いながらも「僕もノックを受けたいです」と、高校生に交じって一緒に練習をしていました。「良い根性をしとるな」と思いましたね。それでずっと小窪の動きを見ていて「これだったらカープに合うな」と思ったんです。もちろんそれだけで指名したわけではありませんが、守備が良いし、いろんなポジションを守れるユーティリティ性もある。レギュラーとしてバリバリ活躍するというよりも、ベンチに1人いてくれると助かる選手。そういう位置づけでの評価でしたね。

 松山は「足」はありませんでしたがバッティングが良かった。絶対に将来3割打てると思いましたよ。カープは基本的に「足」がないと野手は獲りません。でも松山は「足」のことが気にならないくらい、やっぱりバッティングが良かった。それでもあんなに息の長い選手になるとは思っていなかったですけどね。

 カープは伝統的に練習でよく走るチームですが、松山はそんなに走りこんでいたわけでもありません。陰でしっかり走り込んでいたのかも分かりませんが、要領も良かったんでしょうね。

 1993年から始まった逆指名制度が前年限りで終わって、分離ドラフトもこの年で終わりました。翌年の2008年からは現在に連なる通常のドラフトの形になるわけですが、今振り返ってみても逆指名、分離ドラフトというのは嫌な制度でしたね。私は大っ嫌いでしたよ。

 逆指名はお金の問題もありましたが、私が一番嫌だったのは狙った選手にずっと付きっきりで他の選手が見られないこと。例えば2000年に法政大の廣瀬純を逆指名で獲っていますが、日頃の練習から全日本の合宿からずっと付きっきりで見ないといけません。逆指名してもらうための「誠意」を見せるために、ただ歩くだけの軽めの練習でも見に行かないといけない。これじゃあ他の選手が全然見られないんです。

 逆指名で思い出すのは、やっぱり近畿大時代の二岡智宏(1998年巨人逆指名)ですね。担当の宮本さんがイタリアの世界選手権まで見に行くほど付きっきりで、あのときは「苑、絶対に大丈夫や。カープで決まりや」と宮本さんが言うくらい手応えがあったんです。でも最終的に巨人に決まってね。どの球団を選ぶかは選手の自由。そういう制度ですから文句は言えません。でもやっぱり地元の子だし広陵時代からずっと見てきた選手でしたから、そりゃあ悔しかったですよ。こっちは1位を用意して、あっちは2位ということもあったしね。でもその年に6位で獲った「技術は三流。体は一流」と言われていた新井貴浩が二岡よりもプロで成績を残すんだから、ドラフトって分からないものですよね。

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著者プロフィール

1976年、大分県速見郡生まれ。多くのスポーツサイトの企画・編集、ディレクターなどを経てフリーランスに。現在は少年野球、高校野球サイトのディレクターを務めながら書籍の企画・編集も行っている。主な書籍は『星野と落合のドラフト戦略』『ジャイアンツ元スカウト部長のドラフト回想録』『回想 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男』など。

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