徐若熙、不可思議な大炎上から3週間 プレート位置修正を経て2軍好投、鷹の救世主になるか?

田尻耕太郎

22日から3日間、福岡を訪れた徐の古巣・味全のチアリーダー。左からリンシャン、応援団長のシュンジー、ペイペイ、イ・ダヘ 【撮影:田尻耕太郎】

中16日での先発登板も4回7失点の炎上

 福岡ソフトバンクホークスは5月22日から3日間、本拠地のみずほPayPayドームでの日本ハム3連戦を「ホークスアジアンデー」と銘打って開催した。その一環としてCPBL(台湾プロ野球)味全ドラゴンズの公式チアリーダー「Dragon Beauties」(ドラゴンビューティーズ)のリン・シャン(林襄)、イ・ダへ(李多慧)をはじめメンバー5名や応援団長、球団マスコットらが来場。みずほPayPayドームの三塁側スタンドに特設ステージが設けられ、台湾式応援で華やかに盛り上げた。

 味全ドラゴンズといえば、徐若熙が昨年までプレーしていた球団だ。台湾からは応援ツアーも組まれて、多くのファンも福岡を訪れていたようだった。

 しかし、徐若熙の姿はそこになかった。2軍戦が行われていた山口県の由宇球場で行われていたファーム・リーグ広島戦に先発登板していたのだ。

 遡ること5月4日。徐若熙は中16日と休養たっぷりで臨んだ1軍マウンドの西武戦(ベルーナドーム)で4回14安打7失点と打ち込まれて涙のKOを食らい、即ファームへ逆戻りとなっていたのだ。

「しっかりバッターと勝負できるように投げ込みます」

 そう意気込んでいたのだが、初回から大荒れだった。簡単に2アウトを奪ったものの渡部聖弥に中前打にされると、続くタイラー・ネビンに先制2ランを浴びた。その後も西武打線の勢いを止められず、6連打で一挙4点を先制された。2回も再びネビンに左翼ポール際へ2ランを許して、6点差に広げられた。

 するとこのイニングを投げ終えてダグアウトに戻る徐若熙の目には涙が浮かんでいた。ベンチの隅に腰を下ろした後もタオルに顔をうずめて、グラウンドに目を向けることが出来ず長い時間うなだれていた。

来日最速の157キロを計測も

初回に4失点でベンチに戻る徐若熙 【写真は共同】

 3回もマウンドに向かったが、3安打でさらに1点を失った。4回は1死満塁のピンチを無失点にしのいだが、やはり苦しい登板だった。だがしかし、なんとも不可思議なマウンドに映った。この日のストレートは来日最速の157キロを計測。倉野信次1軍投手チーフコーチ兼ヘッドコーディネーター(投手)も「今日の調子と結果がリンクしない」と首をかしげていたのだった。

 調子は悪くなかった。むしろ好調な方だった。にもかかわらず、14被安打で7失点の大炎上。チームの投手で1試合14被安打以上は、前身の福岡ダイエーホークス時代の2001年8月5日の日本ハム戦(東京ドーム)で若田部健一(現1軍投手コーチ)以来、25年ぶりという惨事でもあった。

 徐若熙自身も状態が悪くて打たれるならば納得できただろう。しかし、自信を持って勝負に挑んでいた。それなのに、全く通用せずにワケも分からずに打たれた。あるいは野球人生でそんな経験は初めてだったのかもしれない。あれは錯乱の涙だったのか――そんな風に想像できた。

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著者プロフィール

1978年8月18日生まれ。熊本県出身。法政大学在学時に「スポーツ法政新聞」に所属しマスコミの世界を志す。2002年卒業と同時に、オフィシャル球団誌『月刊ホークス』の編集記者に。2004年8月に独立後も、ホークスを中心に九州・福岡を拠点に現場取材を続ける。『Number』(文藝春秋)『週刊ベースボール』(ベースボールマガジン社)『スポルティーバ』(集英社)などのメディア媒体に寄稿するほか、ニュースレター『田尻耕太郎の鷹バン!』(the Letter)を運営。また、毎年1月には多くのプロ野球選手、ソフトボールの上野由岐子投手、プロゴルファーらが参加する「鴻江合宿」の運営サポートもライフワークにしている。

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