苦境でも真摯さを失わなかった、坂本花織の21年間「できないからって、すぐ諦めないで」
振付をこなすことを良しとしない姿勢
五輪に3大会連続で出場し、団体・個人合わせて4つのメダルを獲得。世界選手権では4回の優勝を果たした坂本は、戦績だけを見てもその偉大さが分かるスケーターだ。それに加え、競技寿命が短いフィギュアスケートの女子シングルにおいて、25歳まで大会に出場し続ける長いキャリアを築いたことも、後進の希望となるだろう。
歴史に名を残した坂本だが、4歳から始めたフィギュアスケートに取り組んできた21年の間には、苦しい時期もあった。会見で坂本は「本当に一番苦しかったのは、2019-20シーズン」と振り返っている。大学入学後に生活のペースがつかめなくなったことに加え、「頑張った反動が、ちょうどそのタイミングで来てしまった」シーズンでもあった。
日本代表2枠をめぐる激戦を勝ち抜いて2018年平昌五輪に出場した2017-18シーズン、オリンピアンとしてさいたまスーパーアリーナで開催された世界選手権を目指した18-19シーズンは、坂本にとって「2年連続で、自分の中ではすごく頑張って」過ごした2年間だった。だが、19-20シーズンの坂本は「一体何に向かって頑張っているんだろう」という思いを抱えることになる。
グランプリシリーズは2戦共に4位、全日本選手権6位と「今までの中で一番悪い成績」だった苦しいシーズン。ショート『No Roots』は、初めてシェイ=リーン・ボーン氏に振り付けを依頼したプログラムだった。2019年12月に行われた全日本選手権のショート後「振付が難しいプログラムですが、だんだんこなせてきた感じはありますか?」と質問すると、坂本は凛とした表情で答えた。
「なんか『こなせて』しまうと、慣れてきているのかなとは思うんですけど……(自分の演技の)映像見て思うのは『だんだん、振付していたときよりは薄れてきているな』ということ。慣れないといけないんですけど、慣れて(薄れて)しまうのも駄目だなって、すごく思いました」
このとき返ってきた坂本の真摯な言葉に、「こなす」という安易な言葉を使ったことを反省した。苦しいシーズンだったとはいえ、坂本はジャンプを優先して表現をおろそかにするようなスケーターではなかった。
2020年に入ると世界はコロナ禍に見舞われ、スケーターはリンクでの練習ができなくなった。そこで「合法的に休みがもらえた」と感じた自分について、坂本は「相当休みたかったんだな」と感じたと会見で明かしている。しかし滑れない時期を過ごすうち、気持ちに変化があった。皆が滑れない今こそ頑張ろうと考えて陸上トレーニングに取り組んだ坂本は、一カ月半後に氷上に戻った時には前向きに練習できるようになった。落ち込むこともあるが、そこからポジティブに切り替える強さを持つ坂本らしいエピソードだ。
競技生活で見た、さまざまな景色
引退会見で「オリンピックという舞台を一言で言うと」という質問を受けた坂本は、「“守り”かなと思っています」と笑った。
「どうしてもやっぱり『ここでミスしたくない』という気持ちが一番出てしまう試合なので。なかなか過去3大会、攻め切れずに終わってしまったかな、というのがあるので、“守り”です」
最後の五輪であった2026年ミラノ・コルティナ大会では、フリーでミスが出てしまい、涙の銀メダル獲得となった。しかし、その悔しさを晴らすために出場した約一カ月後の世界選手権では、完璧なフリーを滑り切って優勝。関係者が惜別の思いを込めて見送る中で、晴れやかに競技人生を終えた。
「最後の最後まで、オリンピックも『まさか自分がこんな形で終わるとは思っていなかった』という終わり方もしましたし、世界選手権も『こんなたくさんの人に温かく卒業を見送ってもらえるんだ』みたいな感じもあったので。本当に21年間、一言では表せないぐらい、いろんな景色を見てきたなと思います」
五輪での坂本といえば、銅メダルを獲得した2022年北京大会で滑ったフリー『WOMAN』は忘れ難い。ドーピング疑惑で揺れる中、完成度を高める方向性を貫き「自由」を表現したプログラムは、スポーツの本来の魅力である清々しさに満ちていた。たとえ坂本が“守り”だと感じている演技だとしても、それは間違いなく観る者に勇気をもたらす力を持っていたと思う。