岡崎郁が目指す「理想の監督像」は 長嶋さんと王さんは「神様」
藤田さんは父親。
原さんは兄貴。
1979年-2021年
四者四様の指揮官に寵愛された男が振り返るジャイアンツでの物語
私だけに見せた”喜怒哀楽”な素顔
岡崎郁著『長嶋さん、王さん、藤田さん。ときどき原さん 私と4人の巨人軍監督』から、一部抜粋して公開します。
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藤田さんの奥様からの言葉
「来年からコーチになるんだな」
「はい」
「しっかりやんなさい」
それが最後の会話になりました。
89年に監督復帰される際も心臓病があって、ニトログリセリンを常備しながら采配をしていたくらいでしたから、元々お体もあまり良くなかったのだと思います。試合中にはそんな素振りは見たことはありませんでしたけど。
藤田さんがお亡くなりになられたのが翌年2006年(平成18年)の宮崎キャンプのときでした。一軍のコーチも二軍のコーチも宮崎から東京に急遽戻って、品川区の桐ヶ谷斎場でのお通夜に参列しました。
棺の中で眠っている藤田さんを前にしたら「お世話になりました、ありがとうございました」という言葉しかなかったですね……。
原監督以下、一軍コーチから順番にご遺族にご挨拶をして帰るときでした。それまではみんなに「ご苦労様。ありがとう」だけだった奥様が、私のときだけ「岡崎君」と言って話しかけてくださったのです。
「あなた、やっと巨人のコーチに戻ったのね。パパはね、あなたに一番期待していたのよ。『あいつがやっぱり巨人に戻って指導者にならないとダメだ』って、ずーっと言っていたのよ。パパは嬉しかったと思うよ。今年あなたが戻ってきてね……。だから頑張んなさい」
涙が止まらなかったですね。大人になってこんなに泣くことってあるのかというくらい、肩を振るわせて泣きました。
「藤田さん、自分のことをそんなふうに思ってくれていたんだ……」
そう思うと泣けてしかたがなかったですね。私の嗚咽する姿を見て「藤田チルドレン」たちもみんな泣いていました。
「郁、ようやった!」と褒められときのこと、「岡崎!」と怒られたときのこと。色んな藤田さんとの思い出が駆け巡りました。
あれからちょうど20年の歳月が流れました。今でも1年に一度、藤田さんの眠るお寺に行って墓前で色々とご報告をさせてもらっています。