「長嶋茂雄を演じるのも大変なんだ」 ミスターがマスコミに見せた演出の裏側
藤田さんは父親。
原さんは兄貴。
1979年-2021年
四者四様の指揮官に寵愛された男が振り返るジャイアンツでの物語
私だけに見せた”喜怒哀楽”な素顔
岡崎郁著『長嶋さん、王さん、藤田さん。ときどき原さん 私と4人の巨人軍監督』から、一部抜粋して公開します。
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「長嶋茂雄を演じるのも大変なんだ」
初めに報告したのは苦楽を共にした妻です。その次に報告したのが長嶋さんでした。シーズンが終わるのを待ってから報告に行きました。
余程の選手なら別ですが、個人が辞める、辞めないはシーズンが全て終わるまで言ってはいけないと私は思っています。ですので、巨人はこの年オリックスと日本シリーズを戦いましたが、それが終わるまでは公表しませんでした。ただ、球団から「契約しません」とは言われたくはない。そんな自分の意地はありました。自分の最後は自分で決めたかったですから。
日本シリーズの敗戦をテレビで見届けた翌日、球団代表に電話をして「長嶋さんに会いたいです。話がしたいです」と言って、それから長嶋さんに連絡をしました。
長嶋さんの家に伺ったのは仲人のお願いに行ったとき以来ですから10年ぶりのことでした。
「長嶋さんにジャイアンツに入れていただいて、17年間なんとか自分なりにやってきました。ですがもう体力が追いつきません。体も動きません。今年で辞めさせてください」
長嶋さんも私が戦力外であることを薄々分かっていたと思いますし、シーズンが終わって直ぐに「話がしたい」と言われれば、大体どんな話かは分かっていたと思います。
「そうか、分かった」
多くを語らず引退の申し出を受け入れてくれた長嶋さん。続けて直ぐに「これからどうするんだ?」と私の今後を案じてくれました。
35歳だとは言ってもずっと野球だけをやってきましたから、社会のことを知りません。
「一度社会を勉強して、視野を広げたいと思っています。いずれはまた野球界に戻れるようにという気持ちではいます」
「分かった。何か困ったことがあったら言いなさい」
そんな話を1時間くらい、応接間ではなくリビングでさせてもらいました。日本シリーズが終わった翌日でしたから長嶋さんも取材などで忙しかったはずです。それでも私のために時間を作って話を聞いてくれた。それが本当に嬉しかったですね。
帰り際に長嶋さんはこんなことを話してくれました。
「俺も老眼でなぁ。家には老眼鏡が10個くらいあるぞ。でもなぁ、人前で老眼鏡を掛けるわけにはいかないんだ。長嶋茂雄を演じるのも大変なんだ」
やっぱり長嶋さんも「長嶋茂雄」であり続けないといけないと思っていたのか。演じていた部分もあったんだ。そんなこと、初めて知りました。
「これまでは監督と選手ということで、よそよそしい態度で接してきたかもしれないけどな、今後はもう君はもう俺の部下じゃなくなるんだから、フラットに何でも相談に来なさい」
最後にかけていただいた次の言葉を私は忘れません。今思えば第二の人生を歩み出す教え子、部下に対する長嶋さんの餞(はなむけ)の言葉だったのですね。今になってそう思います。
「これからはいつも人に見られているということを意識して、ジャイアンツの選手だったプライドを持って行動をしないといけないぞ」
長嶋さんがしてくれたマスコミへの「宣伝」
マスコミで仕事を始めたばかりの頃、キャンプ中の長嶋さんを取材に行くことがありました。正直その頃は仕事に慣れていなくて私にとっては大変な時期でした。
長嶋さんは朝は必ず陸上競技場を歩くのですが、私の姿を遠くに見つけると「岡崎ー! 来ーい!」と必ず手招きして呼んでくれるのです。長嶋さんの隣で一緒に歩かせていただいて、そこで色んな話をしてくれる。それを遠くからマスコミ各社がずっと撮っている。長嶋さんはそれを分かっていて、計算した上で「岡崎は長嶋茂雄とこんなに親しいんだぞ」と宣伝してくれていたのです。
グラウンドで練習をしているときは、マスコミ関係者は規制線から出てはいけないのですが、そんなこともお構いなしに「岡崎ー!(いいから来なさい)」と手招きをして呼んでくれる。マスコミの前でわざと肩を組んで必要以上の親しさぶりをアピールしてくれる。そういった一つ一つが、相手に気を遣わせない長嶋さんのさりげない優しさなのです。
ありがたいことに、そうやって「岡崎は長嶋茂雄とこんなに密なんだ」ということがマスコミの皆さんに知れ渡って、そのお陰で色んなお仕事を頂くことができました。他のOBにも同じようにされているのかもしれませんが、長嶋さんという人は、そういうことまで考えてくれる人なのです。
お体を悪くされてからも、私が二軍監督になったときにはジャイアンツ球場にも来てくれました。一軍のコーチになったときも来てくださって声をかけてくれて。そうやって引退した後も変わらずに目を掛けていただきました。
自分のバックには長嶋さんがいてくれている。それが引退後の人生でどれだけ心強かったことか。長嶋さんは私の心の支えでした。感謝してもしきれません。