書籍『長嶋さん、王さん、藤田さん。ときどき原さん』

実家の居間に長嶋茂雄 18歳の少年が「困った」巨人からの3位指名

岡崎郁

【写真は共同】

長嶋さんと王さんは神様。
藤田さんは父親。
原さんは兄貴。

1979年-2021年
四者四様の指揮官に寵愛された男が振り返るジャイアンツでの物語
私だけに見せた”喜怒哀楽”な素顔

岡崎郁著『長嶋さん、王さん、藤田さん。ときどき原さん 私と4人の巨人軍監督』から、一部抜粋して公開します。

阪神1位ならプロ入りOK

 小さい頃から私の故郷大分の野球中継は巨人戦だけ。野球を見始めた頃はちょうど巨人のV9時代のど真ん中。憧れのスターはもちろん長嶋茂雄と王貞治。ですが巨人ファンだったかと言われると、そうではありませんでした。巨人が圧倒的に強い時代、そこに対抗していたのが阪神です。いつも良いところまで行くのに最後に巨人に優勝を許してしまう。そんなチームだからこそ応援しがいがあったのです。強いところを応援するよりも、そこを倒そうとしているチームを応援したくなる性格。判官贔屓というやつですね。地理的にも大分からは大阪の方が近い分、巨人よりも親しみを感じていたのもあります。阪神にも江夏豊さんや田淵幸一さん、遠井吾郎さん、ウィリー・カークランドといったスター選手もたくさんいて、タテジマのユニフォームも格好いい。そういった理由から阪神を応援していました。

 プロ側で私のことを一番評価してくれていたのがその阪神でした。この年のドラフトの目玉は早稲田大学の岡田彰布さんだったのですが「岡田を外したら1位で指名する」と言ってくれていたのです。そのことは鴨田監督にも話をしていました。「1位指名というのは名誉なことだから」と言っていただき、1位指名があった場合のみプロに進むことを認めてくれました。今風に言えば『順位縛り』というやつですね。ただ1位以外はダメということも改めて確認しました。そりゃあそうです。大学だって私を獲るために入学する学生の枠を一つ空けて待ってくれているのですから。初めから「僕は法政大学には行きません」と言っていれば他の有望選手を獲りにもいけるわけですし。子どもながらにも「この約束は破ってはいけない」ということは十分理解しているつもりでした。

 1979年(昭和54年)11月27日に行われたドラフト会議。阪神が1位指名した岡田さんには史上最多(当時)6球団が競合し、引き当てたのが阪神でした。そんなことなど知らずに私が教室で授業を受けていた頃、自宅には阪神のスカウトから電話がかかっていました。

「岡崎君を2位で指名したい」

 父はそれを断りました。「1位以外は法政大学」という約束を守ったのです。阪神も理解して指名を見送ってくれました。

 そんなやりとりが行われていたことなど露知らず。午後の授業を受けているところへ、教頭先生が慌てた様子で私を呼びに来たのです。

「巨人が3位で指名したぞ」

〈困ったな……〉

 それがそのときの正直な気持ちです。そういう困る事態になりたくないから事前に各球団にお断りの話をさせていただいていたのです。

 18歳の自分からしたら「どうして……」です。

 暫くしたら学校中に「岡崎が巨人から3位指名」という情報が広まって、クラスメイトやチームメイトから「良かったなぁ!」と祝福の嵐。私が内心困っていることなど微塵も思っていなかったでしょう。

 帰宅後は直ぐに家族会議。とは言っても母も祖母も古い九州女ですからこういったことには一切口を挟みません。父と二人で話をしました。そこで話したのは、やっぱり大学と約束もしていますし、他球団にだって「大学に行かせてください」と話していたわけですから、巨人に指名されたからといってプロに行くわけにはいかないということ。そもそも自分も高卒でプロの世界に飛び込む自信が全くなかったですしね。大学で実力、体力をつけて、そこで4年後にプロから指名される選手になろう。私自身も改めてそう誓っていました。

 鴨田監督からも連絡があり、父も「大学でお世話になります」という話を改めてしていました。

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