「今でも悔しい」指名できなかった6度の本塁打王 元中日スカウトが明かすドラフト秘話
「阪神より先に4巡目で指名してください!」
「間もなく休部になるんだけど、2人どうする?」
「2人とも欲しいです!」
河合楽器の村瀬耕次監督にいち早く休部になる情報をいただいたことから、早くに動くことができました。私がスカウトになって初めて担当した選手が河合楽器の佐藤だったことは前に書きましたが、村瀬監督とはそこからのご縁。これも「スカウト運」があったと言えるのかもしれません。
2人とも本来であれば上位指名クラスの投手です。私のミッションはそんな2人を「どうやって逆指名を使わずに獲るか?」でした。逆指名を使って獲るのは当たり前ですし、いち早く動けているアドバンテージもあったわけですから。これも「中田イズム」の一つです(笑)。
河合楽器のある浜松に二週間泊まり込みでいろいろと動き、策を練って、最終的に山井を4位、久本を6位で指名するということで話がまとまりました。
ですがドラフトは思うようにはいかないもの。当日になって急遽阪神が久本を指名しようとしてきたのです。指名を考えていた2人の社会人左腕、九州三菱自動車の有銘兼久、日本生命の谷口悦司を共に先に近鉄に獲られてしまったことから、急遽担当スカウトが「久本君を4巡目で指名したい」と河合楽器サイドに連絡を入れてきたのです。ですが阪神の動きは私に筒抜けでした。私は当日河合楽器に詰めていましたから。
「久本を阪神より先に4巡目で指名してください!」
直ぐにドラフト会場の控え室にいるスカウトの大先輩、二宮進さんに連絡。それを受けた二宮さんが会場まで走って、本来は会場内に入ってはいけないと思うのですが、円卓の中田さんにそれを伝え、こちらも急遽久本と山井の順位を入れ替えて久本を4位で指名。久本と山井のW獲得にはこんな舞台裏があったのです。
“闘将”に相談、スカウトからコーチへ
浜田高校時代の和田のことは、当時中国地方も担当していたことからよく見ていました。良いカーブを放る投手だなとは思っていましたが、まさか4年後にドラフトの目玉になるとは想像できませんでしたね。「こんなに真っ直ぐが良くなったのか!?」と大学進学後の大化けぶりに驚きました。腕が少し遅れて出てくる投げ方がちょっと独特で、スピードガンの数字以上に速く見える。ベース板の上でボールがビュッと来るイメージ。良いピッチャーになったなと思いました。
この年の中日の指名選手で一番活躍したのが東海大から5位指名した左腕小林正人です。黄金時代を支えた“左殺し”ですが、実は落合監督の1年目の終わり、入団2年で戦力外対象になっていた投手でした。当時の投手コーチが森繁和さんと私です。同じく戦力外候補になっていた同じ左腕の植大輔と小林の2人に対して、「サイドスローで投げるつもりはあるか?」と森さんが聞いて、「ある」と答えたのが小林でした。それで小林はチャンスをもらって生き残りました。
森さんは西武で活躍された左のサイドスロー・永射保さんビデオを取り寄せて小林に勉強させました。小林もよく頑張ってサイドスローをモノにしたと思います。長くブルペンを支えた後は球団広報などを経て、今年からは投手コーチとしてチームを支えています。
私がコーチになったのは2002年シーズン終了後のことでした。「来年からユニフォームを着てほしい」と球団から山田監督の下でコーチをやるように言われたのです。ありがたいお話でしたけど返事は一旦保留させてもらい、私はある人に相談しました。
「スカウトは何年やったんや?」
「7年やらせてもらいました」
「どうや? 野球の勉強はできたんか?」
「はい。勉強できたと思います」
「だったらユニフォームを着ろよ。せっかく勉強ができたんだったら、こんなチャンスはないぞ」
この時に相談したのは、阪神の監督になっていた星野さんです。星野さんに背中を押してもらい、私はコーチになる話をお受けさせていただきました。
余談になりますが、星野さんに相談するちょうど1年前。星野さんが阪神の監督になることが決まったとき、「お前も阪神に来い。スカウトをやれ」と誘われていたこともありました。
私は中日に残る道を選びましたが、阪神に行く、星野さんの下でまた一緒にやる。そんな道もあったのです。今だから話せることですけどね。