支え合った“りくりゅう”、北京五輪からの進化 三浦璃来がミラノで「私史上一番強くなれた」理由とは

沢田聡子

4月28日に行われた引退会見で三浦璃来(左)は北京五輪を振り返った 【写真は共同】

木原の言葉が三浦を救った北京五輪

 2022年北京五輪のペア・ショートプログラムが行われた2月18日、首都体育館のミックスゾーンで、三浦璃来は聞き取るのに苦労するほど小さな声で自らを振り返った。

「大きな舞台で、失敗を恐れてネガティブ思考になった」

 三浦はパートナーの木原龍一とともに、5位以内を目指して北京五輪の個人戦に臨んでいた。しかしショートでは3回転トウループの予定だったソロジャンプが2回転になるミスをしてしまい、8位発進。木原にとってはこの北京大会は3回目の五輪だったが、三浦にとっては初の五輪だった。木原は「最後までサポートしきれなかったのが残念だった」と落ち込んだ様子の三浦を気遣いつつ、翌日のフリーに向けて前向きな発言をしている。

「今日のことは忘れて、明日はまた攻めていきたいなと思います」

 その言葉通り、翌日に行われたフリーでは“りくりゅう”は実力を発揮し、フリーだけの順位では5位と健闘。総合では7位で、日本代表のペアとして五輪初入賞を果たした。

 フリーを滑り終えた三浦は、3回目の五輪で初めてフリーに進出した木原に感謝を伝えられたことを明かしていた。

「今日の練習前も、本番が始まる前も『フリーを滑らせてくれてありがとう』って言われて、『本当に龍一くんと組んでよかった』と思いました」

 そして周知の通り、4年後の26年ミラノ・コルティナ五輪では、“りくりゅう”は金メダルを獲得した。4月28日に行われた引退会見で、三浦は北京五輪を振り返っている。

「最初に出たオリンピックで、4年に一度の一番大きな試合。すごく緊張していたんですけど、木原さんが『オリンピックも普通の試合と変わらないんだよ。オリンピックだからといって採点が変わるわけでもないし、出場する選手が変わるわけでもない。普段の練習と同じように、オリンピックも臨めばいいんだよ』と言った言葉に、私は一番救われて。一度目のオリンピックでも、自分たちらしい演技をすることができたかなと思っています」

封印した“ベイビーキャッチ”

初の五輪に緊張していた三浦を木原がサポートした北京大会は、7位入賞を果たした 【写真は共同】

 “りくりゅう”が北京五輪で滑ったショート『ハレルヤ』では、木原が手をつないだ三浦を脚の間から前にくぐらせて抱え上げる“ベイビーキャッチ”が印象的である。また、同大会のフリー『Woman』で三浦が着用していた黒い衣装は、長袖のデザインだ。

 しかし22年7月に三浦が左肩を脱臼してから、肩に負担がかかる“ベイビーキャッチ”は封印せざるを得なくなった。また、ミラノ五輪の約1年前となる25年2月に行われた四大陸選手権の前には、三浦はお気に入りだった袖のある衣装を袖無しのものに変更している。24年12月にも左肩を亜脱臼したため、テーピングが必要になった場合、袖がある衣装だと技に影響が出るという理由だった。

 三浦は左肩、そして23年に「腰椎分離症」と診断された木原は腰に、それぞれ怪我を抱えながら競技を続けてきた。フィギュアスケーターの中でも特にダイナミックな技に取り組むペアスケーターは、怪我に悩まされることが多い。“りくりゅう”にとってミラノ五輪は、ペアスケーターの宿命ともいえる怪我と戦い続け、やっとの思いで辿り着いた大会だったのだろう。世界歴代最高得点をたたき出し、ショート5位から逆転して金メダルを勝ち取ったミラノ五輪のフリーは、怪我を悪化させないよう気遣いながら鍛錬を積んできた2人が、最後に咲かせた大輪の花だったのだ。

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著者プロフィール

1972年埼玉県生まれ。早稲田大学第一文学部卒業後、出版社に勤めながら、97年にライターとして活動を始める。2004年からフリー。主に採点競技(アーティスティックスイミング等)やアイスホッケーを取材して雑誌やウェブに寄稿、現在に至る。

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