美しい自然、震災の爪痕…アスリートが故郷のためにできることとは 竹田麗央が熊本地震10年に思うこと
阿蘇のカルデラの中央部、直径1キロほどの窪地に広がる「草千里ヶ浜」。
まだ小学校低学年だった竹田麗央は、家族に手を引かれて一面の緑の中に降り立った。
吹き抜ける風にあわせて、まるで海のように草が波立っていく。
中央にある丘を登る人影がやたら小さく見える。それだけ景色全体のスケールが大きいということだ。
そして、美しい渓谷の数々。天草の海をおよぐイルカの群れ。熊本城。
熊本には、世界に誇れる景色がたくさんある。
だが、そんな故郷が深く傷ついたことがあった。
2016年、熊本地震。
あの日のことは、きっと一生忘れない。
英才教育よりも…育まれた自然を愛する気持ち
父の宜史さんは名門・法大野球部出身。
そして、母の哲子さんはプロゴルファー。妹に賞金王2回の平瀬真由美を持つことでも知られている。
天賦の才能かもしれない。
幼稚園の年長になると、竹田は地元のわんぱく相撲大会で、男の子たちを投げ飛ばし続けて優勝した。
同じころ、ゴルフにも興味を持ち始めた。
普通なら、周囲が「待ってました」と盛り上がるところだ。
哲子さんはジュニアゴルファー育成の現場に携わることもあった。
多くの親子を見る中で、競技を無理強いしてもいいことはない、と強く感じていた。
やりたいことをやればいい。
ヒップホップダンスや水泳など、興味を持ったことは一通りやらせた。
何より、指導者と選手ではなく、あくまで「親子」であることを忘れなかった。
ゴルフ漬けではなく、普通に楽しむ家族の時間を大切にした。
県内を観光して回る機会も、人並み以上につくることができた。
阿蘇の草千里ヶ浜をはじめとした故郷の自然を愛する気持ちも、そうやって育まれたものだ。
鳴り響く警告音。楽しみにしていた大会前夜に…
小学校の卒業文集では、将来の夢を「賞金女王」とつづった。
多くの競技を体験した上で、これを頑張りたいと決めた。
夢中でラウンドを、練習をするようになった。
中学生にあがった2016年の春には、夢の舞台に立てることにもなった。
4月に熊本で行われるJLPGAツアー「KKT杯バンテリンレディスオープン」で運営ボランティアを務めることになったのだ。
自分が参加できるのは、中学校が休みになる15日土曜日。つまり2日後だった。
「ロープが張られた中、つまり選手のプレーエリアに入れるのは初めてでした。どの選手の組につくんだろう、好きな選手の組につけたらいいなとか、すごく楽しみにしていました」
大会側からは、当日の持ち物リストが送られてきていた。
自室で眺めているうちに、本番がいよいよ待ち遠しくなる。2日後だからまだ早いと思いつつも、ついつい準備を始めてしまった。
その時だった。
テレビからまがまがしい警告音が響いた。地鳴りとともに、強い揺れが襲ってきた。
2度にわたる強い揺れ。甚大な被害
2016年熊本地震。
竹田のボランティア準備中に起きた14日午後9時26分の揺れはマグニチュード6.5、最大震度7を記録。
さらに28時間後の16日午前1時25分には、さらに規模の大きい「本震」が襲った。
マグニチュード7.3は、1995年の阪神淡路大震災と同規模だった。
同じ地点(益城町)で震度7が2回記録されたのは史上初。県内の広い地域で、甚大な被害が生じた。
草千里ヶ浜のふもとにある阿蘇大橋は、本震による土砂崩れと地盤変動で崩落。
前震で被災した友人に支援物資を届けに向かっていた大学生が、乗用車ごと巻き込まれた。
激甚被災地の益城町では、中心部の家屋の多くが全壊した。
その被害状況は、熊本県民のみならず全国民に与えた。ほとんどが津波被害だった東日本大震災とはまた違った衝撃だった。
失われた「当たり前の日常」
強い揺れで、陳列していたクラブなどが店内に散乱した。
片づけを手伝う間に、楽しみにしていたKKT杯バンテリンレディスオープンの中止の報が届いた。
絶え間ない余震に備え、車中泊が始まった。
そして避難所に足を運び、自衛隊が準備した生活用水をもらう。つい数日前には思いもしなかった状況の中での生活を強いられた。
「それまでは、毎日ゴルフの練習場に行かせてもらったり、週末などにゴルフの試合に出させてもらったりしていましたけど…そういうことは幸せなことで、当たり前のことじゃなかったんだなと強く感じました」
被災地で奔走するアスリートの姿に…
復興の歩みが始まった。
被災地で存在感を示したのは、アスリートたちだった。
筆頭は、サッカー元日本代表で地元のロアッソ熊本に戻ってプレーしていた巻誠一郎。
自身のもとに直接全国から寄せられる支援物資を、早い段階から協力者とともに各所の避難所に配って回った。
巻を頼って内田篤人、長友佑都、吉田麻也ら日本代表の中心選手も熊本を訪れた。
被災地でサッカー教室を行い、現地の人々を強く励ました。
拠点だった益城町総合体育館が被災。クラブ存続の危機に瀕しているにも関わらず「地元のために自分たちがやるしかない」と支援物資の搬送や募金活動を率先して行った。
ゴルフ界でも、地元出身の青山加織が奔走した。
地震直後の2試合を欠場してまで、軽トラを自ら運転して被災地を周り、物資を届けた。そしてSNSで現地の様子をつぶさに伝えたことで、全国からも支援の声、支援物資が集まった。
つまり、シード選手はほぼ全員が熊本地震を体験していた。ゆえに親身に被災地のことを思う選手が多かった。翌週のフジサンケイレディスから、会場での募金活動をスタートさせた。
こうしたアスリートの貢献は、竹田の胸にも強く残っている。
「皆さんゴルフを職業にしつつも、その時間を削ってでもそういう活動をされてたので、本当に尊敬しました。私もそういう活動ができる選手になりたいなと」