ジャンボ尾崎が残した"スピリット"とは 中嶋常幸が語る「AON」マスターズ挑戦の50年史
4月2日、茨城県・静ヒルズCCでの『コアフォース TOMMY CUP』の休憩時間。
プロゴルファー中嶋常幸は、クラブハウスの窓外に広がる景色に目をやりながら、ポツリと明かした。
2025年の年末のことだ。
中嶋がジュニア選手を育成するために運営している「トミーアカデミー」の合宿に、あの松山英樹が顔を出してくれた。
東北福祉大に在学していた当時は、練習場の175ヤードの看板にショットを当てる練習をしていた。そんな思い出話もしてくれた。
30ヤード程度ならまだしも、ミドルアイアンの距離でも小さな看板を狙っていたのか…。
ジュニア選手たちの表情がみるみる引き締まる。そんな様子をみて、中嶋は目を細めていた。
ありがたかったことは、他にもある。
合宿に来てくれた松山のために、中嶋は謝礼を用意していた。
「ありがとうございます」。そう言って素直に受け取ってくれた。
だがすぐにその封筒の向きを変えて、押し戴くようにしてこちらに返してきた。
「ぜひ、アカデミーに寄付をさせてください」
「壁」に挑み続けた過去。戦友たちとの歴史
そして返すのではなく「寄付」と言ってくれた。
シーズン中は終始、厳しい表情を崩さない。
日本のゴルフ界の威信を一人背負って戦い続ける勝負師が、オフだけに垣間見せた素顔。
冬の寒空の下でも、ジンと胸が温かくなるような気がした。
「思いやりがあって、優しい男だと思う。本当に立派なアスリート。僕らが超えられなかった壁を超えて、見たかった景色をみせてくれたわけですし」
2021年。中嶋は解説席で、松山のマスターズ優勝を見届けた。
感極まり、声を詰まらせて泣いたそのシーンは「沈黙の55秒」として今も語り継がれる。
かつては中嶋も、日本中の期待を背負って戦った。
「僕らもみんな、努力したんですよ。自分もそうですけど、ジャンボも日本ツアーで優勝して、祝賀会をやるというタイミングなのにアイアンを持ち出して『今日のショットには納得が言っていない』といって練習を始めたりして」
そう言って、思いをはせる。
戦友であり、最大のライバルとともにマスターズに挑んだ「AON」の時代に。
「憧れの地」にみた最大のライバルの姿
最終日の16番パー3。「皇帝」ニクラウスがロングパットをねじ込み、拳を突き上げている。
本当にカッコいい。
世界にはこんな場所があるのか。
そんな「憧れの地」に、その年初めて足を踏み入れた日本人がいた。
ジャンボこと尾崎将司。プロ野球選手から転向してわずか4年の超新星だった。
これが日本勢にとって、初の海外メジャートップ10入りになった。
その直後、中嶋は18歳にして日本アマのタイトルを勝ち取った。
そしてプロ転向後、21歳で国内メジャーの日本プロ選手権で優勝し、念願のマスターズ出場権をもぎ取った。
こうして、1978年のマスターズには史上初めて、日本から3選手が同時に出場することになった。
日本ツアー賞金王の青木功、尾崎、そして初出場の中嶋。「AON」のそろい踏みだった。
ひときわ遅かった桜。傷心の記憶
それに呼応するように、中嶋は「優勝を目指す」と宣言した。
「自分こそが、という気持ちはそれぞれにあったと思う。少なくとも、自分は変なライバル心の塊みたいな感じではあった」
ふたを開ければ、3選手とも予選落ちに終わった。
「僕は初日のスタートホールから震えていて、出だしからそんなところまでいくのかというほどショットが曲がってしまった。自分のことで精一杯で、青木さんとかジャンボとかがどんなプレーをしているのか、まったく分からなかった」
打ちのめされて帰国した直後、国内ツアーのダンロップ国際オープンでも予選落ちした。
会場だった茨城GC東Cの桜が満開だったことだけを、なぜかはっきりと覚えている。
同じ茨城県にある静ヒルズの桜を眺めながら、およそ50年前の傷心を思い返す。
「開幕が4月20日だったんだけど、当時は桜の時期がそんなに遅かったんだよね。それくらい昔の話になったんだなぁと。いずれにしても、ものすごくショックでした」