スカウトが振り返る、あの年のドラフト指名

「眠れない夜が続きました」スカウト1年目に犯した大失態 元中日スカウトが明かすドラフト秘話

永松欣也

野手として下位指名予定だった大学時代の岩瀬は社会人を経て中日で大投手となった 【写真は共同】

 毎年多くのドラマを生むプロ野球ドラフト会議。あの年の1位はどのようにして決まったのか? あの選手をどのように評価していたのか? あの選手はなぜ指名しなかったのか? 1996年から2003年、2019年から2021年まで中日でスカウトを務めた近藤真市氏に、選手指名秘話やドラフト舞台裏などを振り返ってもらった。

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四国で光っていた二人の高校生

ピッチャー出身のスカウト1年目。岩村(右)は「良いバッター」だと目に映った 【写真は共同】

 1994年限りで現役を引退した私は、1年間バッティングピッチャーをやらせてもらい、96年からスカウトになりました。きっかけは星野(仙一)さんです。95年の秋から高木守道さんの後を受けて監督に復帰されたのですが、「来年からはスカウトをやれ。いろんな野球を勉強せえ」と言われたのです。

 元々肩、肘を壊して引退した自分にバッティングピッチャーは厳しいものがありましたしね。おそらくですけど、当時チーフスカウトだった中田宗男さんが「近藤はスカウトにした方がいいです」という話しを星野さんにされたのだと思います。スカウトになったときに挨拶をしたら「スカウトになるのが1年遅かったな」と中田さんに言われましたから。

 当時はまだ27歳でスカウトの中では一番年下。何をしたら良いかも分からないなかで、初めて任された地区は地元の東海地区と縁もゆかりもない四国でした。私は生まれも育ちもプロに入ってからもずっと名古屋でしたから、「全然知らない土地に行って勉強しろ」という中田さんの親心だったのだと思います。中田さん自身もスカウト1年目は縁もゆかりもない中国・四国地方の担当だったそうですから。

 中田さんに教えられたのは「とにかく現場に足を運べ」ということ。とは言ってもネットもスマホもない時代です。乗り継ぎがうまくいかないこともよくありましたし、四国の移動は隣の県に行くにも何時間もかかりますから、その辺が一番大変でしたね。

 この時の四国には宇和島東に岩村明憲(96年ヤクルト2位)がいました。招待試合で愛媛にPL学園が来た時には、この年に近鉄からドラフト1位指名をされる左腕の前川克彦のボールを完璧に打つなど、上背はなかったですがバッティングが良くて目立つ選手でした。まだ何も分からない1年目でしたけど「この子はすごいなぁ」と、岩村を見るために何度も愛媛まで足を運びました。

 結果的にヤクルトに2位指名されましたが、そんなに高い順位で指名されるとは正直思っていませんでした。お亡くなりになられた上甲正典監督も「そんなに岩村が良いなら持って行ってよ」なんて言っていて、「あれ? 上位の選手ではないのかな?」と思っていました。ピッチャー出身のスカウト1年目ですから、良いバッターだとは思いながらも果たして何位あたりの評価が妥当なのか、基準がまだ分からなかったのです。

 それならば分かる人にも見てもらおうと、中田さんに「良い選手がいます」と報告をして愛媛まで見に来てもらったこともあります。ですがその試合で岩村は試合前のシートノックでは守備に就かず、試合でもショートではなくファーストを守っていました。あとで分かったのですがこのとき岩村は骨折をしていたのです。岩村の良さはバッティングを含めた走・攻・守でしたから、中田さんも評価に困ったと思います。

 逆にピッチャーを見る目には自信があり、同じ愛媛の松山中央にいた山村路直を高く評価していました。スピードは135、6しか出ていなかったのですがフォームが良くて球の質も良い。マウンドで投げている雰囲気も良かったですね。

 ですが夏前には九州共立大への進学が決まっていて、指名候補には挙げることはありませんでした。この時にプロ志望であれば3位までには指名されたと思います。山村は4年後に逆指名1位でダイエーに入団しましたがけがの影響でプロでは通算2勝に終わりました。

「だったら白紙にしましょう」忘れられない大失態

1カ月間、毎日通い続け指名に至った小山。入団会見では星野監督(前列中央)の右隣に座った 【写真は共同】

 スカウト1年目、私は幸運にも1位選手の担当になりました。明野の小山伸一郎です。小山はスピードガンの性能が悪かった当時、普通のピッチャーはいくら速くても140も出ていなかった時代に軽々140キロを超える速球派右腕。ピッチャーになってまだ日が浅いという伸び代も魅力でした。もちろん地元でもありますしね。ですがこの小山の指名を巡って私は大きな失態を犯してしまいました。

 この年の目玉は青学大の井口資仁で、中日はダイエーとギリギリまで逆指名を争った末に敗れていました。代わりの1位を誰でいこうかとなったときに地元の小山が浮上していたのです。もちろん小山サイドにもそれは伝えてあり好感触を得ていました。

 この時点では1位は小山、2位はダイエー入りを熱望している九州共立大の柴原洋か東海大相模の森野将彦でいく予定で動いていました。

 今だから話せるのですが、このとき球団内では「神戸弘陵の玉野宏昌(西武1位)を1位、小山を2位でいけないか?」という話も浮上していました。

「明野の監督に1位は野手になるかもしれないから、そうなった時は小山を2位ということで協力してもらえないか、今すぐ確認してくれんか?」

 中田さんにそう言われた私はすぐに監督さんに電話で話しました。

「それはどういうことですか?」

「1位でいきます」と話していたのに「2位でもいいですか?」と言っているわけですから、監督さんにしてみたら面白い話ではありません。

「話が違うので、だったら白紙にしましょう」

 2位指名に協力してもらうどころか、私は真逆のことを言われてしまったのです。

 携帯電話も持たせてもらっていない時代ですから、私は急ぎ中田さんの自宅に電話で事の次第を報告。電話口でものすごく怒られました。

「そんな大事な事を電話で話すとは何を考えとるんや!!」

 電話を切った後、すぐに学校のある三重県松坂市まで行きましたが、監督には会ってもらえず門前払い。そこから1カ月間、毎日通い続けましたが会っていただけない。眠れない夜が続きました。

 それでも毎日通いました。毎日通って誠意を見せることしかできないですから。

「分かりました。近藤さんを信じます」

 最後の最後にそう言っていただけたのは、ドラフトも迫ってきていた頃のことでした。中田さんには「小山の2位はダメです! どうしても1位で行ってください!」とお願いして、最終的に1位が小山、2位が森野という順番に落ち着きました。

 駆け出しスカウトで学ぶことが多い1年でしたが、この時のことはとても勉強になりました。今でも忘れられないですね。

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著者プロフィール

1976年、大分県速見郡生まれ。多くのスポーツサイトの企画・編集、ディレクターなどを経てフリーランスに。現在は少年野球、高校野球サイトのディレクターを務めながら書籍の企画・編集も行っている。主な書籍は『星野と落合のドラフト戦略』『ジャイアンツ元スカウト部長のドラフト回想録』『回想 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男』など。

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