やり抜く力 天才じゃなくてもトップになれた「ベリベリ」シンプルな理由

地方から中央移籍へ “アンカツルール”廃止で筆記試験との戦いが幕を開ける

戸﨑圭太

【写真は共同】

地方競馬から日本競馬のトップへ上り詰めた騎手・戸﨑圭太。
大井競馬場で頭角を現し、JRAでも数々のビッグレースで結果を残してきた。
その華やかな実績の裏には、挫折や苦闘、遠回りの日々があった。

書籍『やり抜く力 天才じゃなくてもトップになれた「ベリベリ」シンプルな理由』(戸﨑圭太著)より、一部を抜粋してお届けします。

筆記試験との戦いが幕を開ける!

 頻繁にJRAに乗りにいくようになると、平日は南関東(5日連続開催が基本)、土日は中山や東京で競馬に乗るというハードスケジュールに。数えるほどだが、7日間連続騎乗という週もあった。当然、殺人的な忙しさになるわけだが、しんどさ以上に売れっ子感覚が味わえるのがうれしくて、「なんか俺、売れてるじゃん!」とか心の中で思いながら、競馬場から競馬場に移動していた記憶がある(笑)。

 あの頃は、いろんな経験を積むために、とにかくJRAで乗りたかった。そして、そこで乗っている自分がたまらなくうれしかったのだ。

 殺人的なスケジュールをこなしながら順調に勝ち星を積み重ね、アンカツルールの基準である年間20勝まであとわずかとなった2009年夏の某日、僕にとって衝撃的なニュースが飛び込んできた。

「アンカツルールが適用されるのは2009年まで。2010年度以降は、すべての騎手が一次試験を受けなければならない」

 最悪の悲報である。新しく、直近3年以内にJRAで年間20勝2回をクリアした騎手のみ、二次試験の実技が免除され、口頭試験のみとなるという規定が加わったが、正直、実技が免除されたところで、うれしくも何ともない。

 またあの筆記試験を受けるのか――。2005年に軽い気持ちで受けた際の、答案用紙をめくるカサッ、カサッという音が耳の奥によみがえり絶望的な気持ちになった。

 ただでさえ、スポット参戦で年間20勝するのは大変なのに、今度はそこに試験勉強も両立させなければならない。とても乗り越えられる気がしなかったが、かといってあきらめるという選択肢は僕にはなく、ひとまず2011年度の受験を念頭に置いた。免除になるのは実技試験だけなのだから、JRAの年間20勝を達成することにあまり意味はない。熊野さんに「だよね?」と聞いたところ、彼の考えは違った。

「20勝はしなくちゃダメだよ。相手に与える印象が違うから」

 僕には考えが及ばないところまで思慮を巡らせてくれるのが熊野さんに、ピシャリと頬を打たれた気分だった。

 熊野さんのいうとおり、2010年は競馬に集中し、22勝を挙げて規定をクリア。もちろん、主戦場も手を抜かず、全国リーディングこそ佐賀の山口勲さんに僅差で敗れたものの、1665回に騎乗して288勝という成績を残した。

 さらにこの年は、日本ダービーにも初めて騎乗した。パートナーは、前走の青葉賞を内田さんで2着していたトゥザグローリー(池江泰寿厩舎)で、依頼を受けたときの高揚感は今でも覚えているが、当日は10番人気だったこともあり、ほどよい緊張感をもってゲートに向かうことができた。

 レースは、大外17番枠からまずまずのスタートを切ると、道中は4番手の外。直線に向き、残り400mあたりで先頭に並びかけると、あろうことか、馬が抜け出すような気配を見せて……。

「えー! このままいけちゃうの!? いってくれ!」

 本気で夢を見たけど、東京競馬場の直線はそんなに甘くない。残り200mから次々とかわされて7着。初めてのダービーなら、まぁそうなるだろうなと思うが、今となっては「あんなレースをしたら勝てないよ」と、当時の自分に教えてあげたい。

 勝ったのは、内田さんが手綱を取ったエイシンフラッシュ。ガッツポーズとウイニングランを見ながら「カッコいいなぁ」とすっかり感動。いつかは自分も……と湧き上がってくるものがあったし、僕の初ダービーで内田さんが目の前で勝つというタイミングの妙に、何か意味があるような気がしてならなかった。

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