戸﨑圭太、ジョッキー人生の流れを変えた一戦 名馬フリオーソとともに戦った4年半
大井競馬場で頭角を現し、JRAでも数々のビッグレースで結果を残してきた。
その華やかな実績の裏には、挫折や苦闘、遠回りの日々があった。
書籍『やり抜く力 天才じゃなくてもトップになれた「ベリベリ」シンプルな理由』(戸﨑圭太著)より、一部を抜粋してお届けします。
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そして僕は川島厩舎の主戦騎手になった
ダイオライト記念は、JRA所属馬も参戦する船橋のダート2400m戦。フリオーソにとっては、若干距離が長かった。とはいえ、2番人気が大井所属のボンネビルレコードだったように、強力な中央勢は不在。条件的にベストではないにしろ、負けられない戦いであることに変わりはなかった。
スタートと道中のリズムに細心の注意を払い、道中は3番手をキープ。もったままの手応えで4コーナーを先頭で回ると、直線は後続との距離を確認しながらの余裕の走りで、完全にワンサイドゲームだった。
ジョッキー人生で五指に入るほど緊張したレースだったが、思っていた以上にどっしりと構えていたフリオーソのおかげもあり、人生の分かれ道を最高の形でクリア。僕にとって、これが交流重賞初勝利であり、ジョッキー人生の流れを変えた一戦だったといっていい。
そして僕は川島厩舎の主戦の座を獲得した。
同年6月4日には、ドリームスカイ(内田勝義厩舎)で前年のアンパサンド(池田孝厩舎)に続いて東京ダービーを連覇、6月25日にはフリオーソで大一番の帝王賞に勝利し統一GⅠ初勝利も果たした。こうして2008年、僕は完全に流れに乗っていることを実感していた。
ところが、である。好事魔多し、9月にレース中の落馬で鎖骨を骨折。手術を余儀なくされた。でも、リーディングの頂がすぐそこに見えているのに、ゆっくり休んでなんていられない。
僕は、手術から約10日で戦列に復帰。痛みをこらえながら年末まで戦い抜き、その年の大晦日、大井の東京2歳優駿牝馬を川島厩舎のネフェルメモリーで勝利するご褒美をさずかった。この年、積み重ねた勝利は306。南関東という枠を飛び越えて、僕はついにNARの全国リーディングの座をつかんだ。
この年を機に、2009年、2011年、2012年と、僕は計4度のNAR全国リーディングを獲得した。ここを目指して頑張ってきたのだから、もちろんうれしかったのだが、僕のなかでリーディングは、流れやタイミングが合致して“獲らせてもらったもの”という感覚が強い。その感覚は、JRAに移籍してからも変わらず、たとえば「日本一なんてすごいね!」といわれても、自分で自分をすごい人だなんてまったく思っていないから、いまいちピンとこない。だから、浮かれることがない半面、いつまでも“自信”の意味がわからない。
ただ、先に書いたように、人生はすべて流れとタイミングだと僕は思っている。川島先生に直談判にいったのがタイミングなら、その後の流れをつくったのはダイオライト記念。タイミングを射抜き、あとは流れに乗る、あるいはつくることができれば、自然と好循環が生まれる。僕は、その好循環に必死に食らい付いた結果、初めてリーディングを獲ることができた。その繰り返しで今の僕がある気がしている。
2010年の帝王賞を勝ったフリオーソに感動
この頃の中央勢は稀に見る層の厚さで、ヴァーミリアン、カネヒキリ、エスポワールシチー、サクセスブロッケンのほか、ダートの猛者がズラリと揃っていたこともあるが、何よりフリオーソ自身が病と折り合いをつけながらの競走生活であり、手加減しながらの調整だったことも少なくないと聞く。
フリオーソが患っていたのは、かつては不治の病とされ、幾多の名馬たちを引退に追いやってきた屈腱炎。フリオーソの場合、最初に左前脚に発症し、それが治まってきたと思ったら今度は右前脚。結局、両前脚が屈腱炎となり、7年間の競走生活で4度も発症を繰り返したという。
2010年の帝王賞も、確か脚元の影響で調教がほとんどできないまま、当日を迎えたように記憶している。そんなときに限って、中央勢はサクセスブロッケン、ヴァーミリアン、スマートファルコン、カネヒキリといったオールスター揃い踏み。だたでさえフリオーソは1年以上勝利から遠ざかっていたし、僕もさすがに「このメンバーが相手では厳しいな」と、状況を冷静に捉えていた。
しかし、終わってみれば、2番手追走から4角先頭という横綱相撲で、2着カネヒキリに2馬身差をつけての完勝劇。屈腱炎で調整もままならなかったはずなのに、何てすごい馬なんだろう……。僕はただただ感動し、そして信じ切れなかった自分を恥じ、心のなかでたくさんフリオーソに謝った。
「一番思い出に残っているレースは?」と聞かれたら、僕は迷わずこの2010年の帝王賞を挙げる。久々の勝利だったこと、万全な状態ではなかったこと、相手が揃っていたことなど、記憶に刻まれやすい要素はいくつかあるが、何よりも僕自身がフリオーソの走りに感動したから。あのときほど馬に対して「すげー」と思ったことは、いまだかつてないかもしれない。