「代わりに乗ってくれる人を探せばいい」先輩騎手との二人三脚 絶望感味わったJRA騎手免許試験
大井競馬場で頭角を現し、JRAでも数々のビッグレースで結果を残してきた。
その華やかな実績の裏には、挫折や苦闘、遠回りの日々があった。
書籍『やり抜く力 天才じゃなくてもトップになれた「ベリベリ」シンプルな理由』(戸﨑圭太著)より、一部を抜粋してお届けします。
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先輩騎手・熊野さんとの二人三脚が始まる
当時、ゴルフという接点はあったものの、それ以外での個人的な交流はなし。それなのに僕は、ある日、熊野さんのもとを訪れて唐突にこういったのだ。
「僕、内田さんが中央に移籍したら、大井でトップを獲りたいんです。そのためには、どうすればいいですか?」
土日は積極的に中央競馬へ参戦し、順調に勝ち星を伸ばしていた内田さん。2002年度の中央競馬の騎手免許試験から適用された、いわゆるアンカツルール(過去5年間において、中央競馬で年間20勝以上の成績を2回以上収めている騎手は一次試験が免除されるルール)がまだ生きていた時代であり、内田さんが中央へ移籍するのも時間の問題だったからだ(実際は2008年に中央へ移籍)。
熊野さんに相談をもちかけた理由はいくつかある。
まずは考え方がしっかりしていたこと、その考え方を言語化できる人であったこと、そんな熊野さんにゴルフを通して信頼を深めていたこと。そして何より、馬乗りが抜群に上手かったことが決め手だった。つまり熊野さんは、自分にないものをすべてもっている先輩であり、それこそ藁にもすがるような思いで指南を求めたのだと思う。
僕の思いを真剣に聞いてくれた熊野さんは、こう答えた。
「トップになりたいのであれば、内田さんがまだ大井にいる時点で次点にいなくちゃダメだよね。次点につけるためにはどうすればいいのかを逆算して考えると、とにかく今は数をたくさん乗ったほうがいいよ」
そうだよなぁと納得しつつ、基本的に調教とレースはセットだ。だから、数多くの調教をこなさなければ、騎乗数は増えない。調教が苦手な僕にとって、それはあまりにも高いハードル。じつに難解な問題が横たわった。
ところがどっこい、僕が調教から逃げ回る姿を昔から見てきた熊野さんにとって、そんなことは折り込み済み。ちゃんと解決策が用意されていたのだ。
「圭太が調教に乗らなければ別のジョッキーが乗るわけで、当然レースの手綱もそのジョッキーに渡る。だから、どうしたって調教には乗らなくちゃいけないんだけど、それが難しいということであれば、代わりに乗ってくれる人を圭太自身が探せばいいんじゃないの?圭太が乗り切れそうな馬は自分で乗るにしても、難しそうな馬の調教は腕の立つ人に乗ってもらって、レースは圭太が乗る。そうすれば乗り数も増やせるし、成績も上がっていくと思うよ」
目からウロコ、新大陸を発見したような感動をもって、僕は熊野さんの提案に同意した。そして、あろうことか現役のジョッキーである熊野さんに、その役目を頼み込んだのだ。当の熊野さんには「現役のジョッキーに向かって、僕の攻め馬を手伝ってくださいっていうか(苦笑)」と呆れられたが、僕には熊野さんしか考えられなかったのだ。
僕の無謀な願いを聞き入れてくれた熊野さんは、それまで所属していた赤嶺本浩厩舎を出て、僕が所属していた香取和孝厩舎に転籍。ジョッキーを続けながら、僕の調教を手伝ってくれるようになった。
めちゃくちゃ素直な「乾いたスポンジ」
「俺自身、そろそろジョッキーという仕事に区切りをつけようかなと思っていたこともあるけど、何より圭太が一生懸命で、熱意が伝わってきたから。いっぽうで、ただがむしゃらであまり考えて乗っていないことも見ていてわかっていたし、頑張る方向性を間違えているようにも見えて、もったいないなとも感じていた。でもね、何よりの決め手は、圭太がめちゃくちゃ素直だったから。それこそ“乾いたスポンジ”状態に見えたんだよね」
この熊野さんの言葉のなかには、まさしく当時の僕がいた。いろいろ相談させてもらうなかで、馬は1頭1頭違うこと、だから自分の型にハメてはいけないこと、個性があることを理解した上で引き出しを増やしていかなければならないことなどなど、本当にいろいろなことを教わった。
今思うと、どれも当たり前のことなのだが、熊野さんが乾いたスポンジと表現したように、当時の僕はスカスカというか、とにかくいいスタートを切っていいところにつけてジッとしておけば、結果はついてくるものだと思っていた。実際、力のある馬であれば、それで8割方は正解なのだが、リーディングでトップ争いに加われるかどうかは、残りの2割が明暗を分ける。それを教えてくれたのは熊野さんであり、そこで本質に触れられたことは、間違いなく僕の分岐点となった。何度思い返しても、あのとき熊野さんを頼った自分を褒めてあげたくなる。
先述したように、2006年は一気に騎乗数が増え、初めて1000騎乗の大台に乗った。他場の調教師から声がかかり始めたことも大きいが、そこで結果を出せるベースをつくってくれたのは、間違いなく熊野さん。
現在ももっとも信頼している人物であり、もし熊野さんがいなかったら、僕はいったいどうなっていたことか――。想像すると恐ろしくなるから絶対にしないけど(笑)。少なくとも今の僕はいなかっただろう。
僕の人付き合いの感覚は独特で、母親譲りのコミュニケーション能力はあるものの、あるラインからは距離を詰めることができず、「人との距離感が絶妙だね」といわれることも。そんななか、ラインを超えた間柄にあるのが熊野さん、そして地方時代の盟友である繁田健一と真島大輔だ。
繁田とは、僕が他場に乗りにいくようになってから距離が縮まり、今では何でも相談できる仲。大輔は3つ年下だが、誕生日も血液型もいっしょで不思議とすごく気が合った。まぁ大輔は王様気質で性格は正反対だけど(笑)。後にも先にも、僕が泣きながら相談をもちかけたのはこのふたりだけ。なくてはならない盟友だ。