やり抜く力 天才じゃなくてもトップになれた「ベリベリ」シンプルな理由

「名前を覚えてもらうため」 戸﨑圭太、新人時代に異例の“営業活動”

戸﨑圭太

マンネリが一変!刺激的な毎日に

 デビュー8年目の2005年。のちのち振り返ると、ジョッキーになって初めて転機らしい転機が訪れたのがこの年だ。

 大井の先輩たちが、南関東の他場に当たり前のように乗りにいくなか、デビューして数年の僕の騎乗機会は、ほぼ大井競馬場のみ。他場に乗りにいくとしても年に数回、それも1日1頭か2頭が関の山。正直いって、仕事も生活もマンネリ化していた。リーディング奪取という確かな目標を掲げ、もちろん日々黙々と奮闘していたはずなのだが、どうやってトップの座をつかむのか、きっかけを探していた時期だったのかもしれない。

 そんな僕に大きな転機をもたらしてくれたのが、船橋競馬の調教師・岡林光浩先生だった。

 当時の僕はまだ地元・大井の重賞も勝っていなかったし、大井のリーディングでもようやくトップ10にちょろちょろと顔を出し始めた程度。スポットライトが当たる機会などなかったのだが、なぜか岡林先生は僕を評価してくれていたようで、人づてに「岡林先生が『戸﨑は絶対に伸びる。すごくいいものをもっている』といってたよ」と聞いたこともあるし、先生本人から直接、お褒めの言葉をいただいたこともあった。

 自分なりに頑張っていた僕からすると、当然、評価してもらえたのはうれしかった。それはもう、心からうれしかったのだが……。相変わらず自分に自信がもてずにいた僕は、そんな岡林先生のありがたい言葉も、どこか他人事のように聞いていたように思う。しかし、僕を取り巻く環境は、静かに、でも確実に変わっていった。

 2004年頃からだったと思うが、岡林厩舎を中心に、船橋での騎乗機会が徐々に増え始めていた。それが、2005年には岡林厩舎以外からも声がかかるようになり、船橋、川崎での騎乗機会が一気に増えたのだ。それもこれも、岡林先生が僕をたびたび起用してくれたことで、他場(浦和や川崎)の調教師にも「大井にこんなジョッキーがいるんだ」と周知されたからだ。

 大井以外での騎乗機会が増えたことで環境も生活も変わり、マンネリから一変、刺激的な毎日に生まれ変わった。南関東競馬全体に戸﨑圭太という存在が浸透したことで、勝利数も騎乗数も右肩上がりとなり、翌2006年には南関東で123勝と初の100勝超えを達成、騎乗数も初めて1000の大台(1145回)に乗った。考えることが苦手だった僕も、他場で乗るようになったことで自然といろいろなことを考えるようになり、今思うと、そこから僕のジョッキー人生は大きく動き出したと実感している。

書籍紹介

【画像提供:Gakken】

地方競馬からキャリアをスタートし、努力と結果で日本競馬の頂点へ上り詰めた騎手・戸﨑圭太。

大井競馬場で頭角を現したのち、JRAに参戦。数々のビッグレースで結果を残し、今なお第一線で活躍し続けるその姿は、多くの競馬ファンの厚い信頼を集めている。

しかし、その歩みは決して華やかな成功物語だけではなかった。

勝てない若手時代。落馬による大怪我と長期離脱。中央移籍の壁。そして、好成績の裏で苦しんだスランプ――。

トップジョッキーとして知られる戸﨑圭太の歩みの裏には、数えきれないほどの試行錯誤と、苦しい時間を耐え抜いてきた日々があった。

本書は、戸﨑圭太がこれまでの騎手人生を振り返りながら、挫折や遠回りをどう受け止め、どう力に変えてきたのかを語った一冊である。

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