想像以上に過酷だった地方騎手への2年間 戸﨑圭太は五厘刈り武器に合格も同期に抱いた嫉妬
大井競馬場で頭角を現し、JRAでも数々のビッグレースで結果を残してきた。
その華やかな実績の裏には、挫折や苦闘、遠回りの日々があった。
書籍『やり抜く力 天才じゃなくてもトップになれた「ベリベリ」シンプルな理由』(戸﨑圭太著)より、一部を抜粋してお届けします。
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五厘刈りが奏功?
もちろん乗りこなせるはずもなく、アッという間に落馬。あんなに高いところから初めて落ちて驚いたし、何より全身が痛かった。「うわ」と思いながらも、これでちょっと休ませてもらえるかもと期待していると、「はい、次ね」。間髪入れずにすぐに馬に乗せられ、「何これ? これが乗馬なの⁉」というのが初日の感想だった。
夏休みに入ると、予定どおり先生の家に泊まり込みながら、朝の厩舎作業からスタート。何もかもが初めての体験で大変だったが、僕と同じように住み込みで乗馬を習っている同年代の子が5〜6人いて、ワイワイキャッキャしながら新鮮な日々を過ごした。
ただ、その子たちは小学生の頃から馬に乗っていて、すでに大会に何度も出場している乗馬経験者。当然、僕との力量差は歴然だった。だから、彼らが大会に出場するときは雑用係として会場入りし、野球部時代と同じく、縁の下の力持ちとしてフル稼働。我ながら、いい働きをしていたと思う。
しかし、そんな悠長な日々は長くは続かなかった。乗馬を始めて3カ月が経った頃だったろうか。先述したようにイケイケ気質な先生は、何と僕を障害馬術の大会にエントリー。基礎もままならない状態で、馬術のガチ勢と戦うことになってしまったのである。
結果はというと、ものの見事に失権。馬術では、馬の不従順、落馬や人馬の転倒など、失権となる対象事例はいくつかあり、審判に失権のベルを鳴らされた時点で競技を終えなければならない。そのときの僕の失権理由は、おそらく経路違反。何しろ僕は、試合の途中で、次の飛越方向がわからなくなってしまったのだから(笑)。
ものすごくドキドキしながら臨んだのは今でもよく覚えていて、緊張しいの僕らしいミスといえばそれまでなのだが、本番で結果を出せないのはバッティングだけではないことを思い知り、ガックリと肩を落としたのだった。
そんな苦い経験もありながら、いつしか僕は乗馬に夢中になっていた。周りの子たちとはスタートラインがまったく違ったし、彼らの主戦場は馬術であり、騎手を目指していたのは僕ひとりだけ。だから、同じ土俵に上げられることもなく、自分のやるべきことに集中できる環境が整っていた。
野球をやっている頃もそうだったが、当時の僕は、他人と比べて自分を知るという視点をもち合わせていなかった。自分の能力にも興味がなく、野球にしても乗馬にしても「これだ!」と思ったらただがむしゃらに突き進むのみで、ふと立ち止まって己を顧みるような思慮深さはなし。こうして振り返ってみると、集中力という意味では
“無敵の精神”を宿した子どもだったのかもしれない。だからこそ、本気でプロ野球選手を目指せたわけで、もし少しでもそういった情緒があったとしたら、万年補欠という現実に早々に打ちのめされていたはずだから。
乗馬を始めてからも、自分の腕前を顧みることなく黙々と日々を重ね、あっという間にその日はやってきた。
1996年1月某日。僕の小さな体は、栃木県那須塩原市にある地方競馬教養センターにあった。試験内容は、国語、数学、社会の筆記試験に加え、身体機能を測定するスポーツテストがあり、僕はどちらも全身全霊をかけて挑んだ。覚えているのは、僕が思っていた以上に受験者数が多かったこと。正確な人数はわからないが、あとから聞いたところによると、その年は十数倍の倍率で、かなりの狭き門だったとか。
大井競馬時代の先輩いわく、当時の筆記試験は「中学1年レベルの問題」だったというが、僕は試験に備えて夜中まで勉強をしたし、実際に試験を受けて「簡単だな」と思った覚えもない。だから、合否が発表されるまでは本当にドキドキしたものだった。それでも頑張った甲斐があって無事に一次試験を通過し、翌月に行われた二次試験にも合格。騎手を目指すと決めてから7〜8カ月しか経っていなかったが、晴れて一発で騎手候補生の仲間入りを果たしたのである。
先述したように、筆記試験に向けて勉強もしたし、スポーツテストに備えてトレーニングも積んだのだが、じつは僕にはもうひとつ、少しでも合格に近づくために仕込んでいったことがあった。
それは“頭”だ。試験当日の僕の頭は青々とした五厘刈り。坊主を通り越したツルツル仕様で、試験官や面接官に本気度を伝えるという姑息な手段に出たのだ(笑)。野球をやっているあいだはずっと坊主だったから、僕自身はまったく抵抗がなかったのだが、ふと周りを見渡すと坊主は僕だけ。変に目立ってしまい、今でも同期たちは「あのときの圭太、青々としていて目立ってたよなぁ」といっては思い出し笑いをしており、もはや僕たちのあいだでは語り草になっている。
ちなみに、合格にあたって五厘刈りが奏功したかどうかは不明。あしからず。