スカウトが振り返る、あの年のドラフト指名

「巨人のスカウトは凄い」見抜けなかった岡本和真の素質 元阪神スカウトが明かすドラフト秘話

永松欣也

智弁学園高時代の岡本和真 【写真は共同】

 毎年多くのドラマを生むプロ野球ドラフト会議。あの年の1位はどのようにして決まったのか? あの選手をどのように評価していたのか? あの選手はなぜ指名しなかったのか? 2001年から2014年まで阪神でスカウトを務めた池之上格氏に、選手指名秘話やドラフト舞台裏などを振り返ってもらった。

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「なぜわざわざ1位で獲るのか?」

 2011年の1位は慶応大の外野手・伊藤隼太でした。東日本統括スカウトの菊地さんに言わせれば「3位でも4位でも獲れる選手を何で1位?」ということになります。どういうことかというと、ある球団幹部の方が伊藤に惚れ込んでいたのです。当時の南信男球団社長が慶応大出身ということもあって、そこらあたりの忖度も働いたのかもしれません。

 長年チームを支えたキャッチャーの矢野燿大が引退し、金本知憲も43歳で連続試合出場が途切れ、四番の新井貴浩も35歳。野手の世代交代が課題の時期でしたから、スカウトとしては「1巡目は野手で行きたい」思いが当然あります。野手の目玉は三球団が競合することになる東海大甲府の高橋周平(中日1位)でしたから、菊地さんも高橋の1巡目指名を主張していました。

「我々スカウトに高橋と伊藤とどちらが上かと聞かれれば『高橋の方が上』だと答えます。それでも会社の方針として伊藤で行くんですね?」

 私も球団にそういうことは言いました。その結果、最終的に「1位は伊藤でいきます」とその球団幹部の方が決めたのです。

 もちろん伊藤には何の問題もありません。悪い選手でもありません。ただ「なぜわざわざ1位で獲るのか?」という疑問がスカウト陣の中では燻っていました。

 伊藤がプロ9年間で残した成績は365試合出場、154安打、ホームラン10本、打率は.240でした。阪神の1位指名にはもの凄いプレッシャーがのしかかります。下位指名と言わないまでも「高橋の外れ1位」くらいで入団していれば、もっと伸び伸びとプレーできてプロでの結果もまた違ったものになっていたかもしれません。伊藤にとっても1位指名は荷が重く、申し訳ないことをしたなと思っています。

 他球団の指名では、広島が2巡目で指名した中京学院大の菊池涼介が印象深い選手でした。私の担当ではありませんでしたが、小回りの利く守備が抜群に良くて「これは良い選手だ!」と思い、私も指名を後押ししました。ですがこの時の阪神の補強ポイントには合致せず、指名候補には入っていなかった記憶があります。広島が2巡目で指名したときには「さすがだなぁ。良く見ているなぁ」と感心したものです。

 日本ハム4巡目の横浜高の近藤健介(現・ソフトバンク)は名前が挙がっていた記憶がありません。同じ4巡目でもDeNAが指名した福知山成美の桑原将志(現・西武)が私の担当でしたから、こっちの方をよく覚えています。前年に育成で指名した島本の一つ下で、私も「良い選手です」と球団に報告はあげていました。でも4巡目はちょっと評価が高かったですね。もう少し下だったら阪神も可能性があったかもしれません。

大谷が12球団OKでも1位は藤浪

2012年のU-18世界野球選手権出場時の大谷翔平(左)と藤浪晋太郎(右) 【写真は共同】

 2012年からはOBの中村勝広さんが球団初のGMに就任されました。中村さんは暗黒時代の阪神の監督を6年されて、オリックスでも監督、フロントの要職を務められた野球をよく知っている方。球団としてもこれから「タイガースを『野球会社』にしていこう」という考えがあり、そのためには現場もフロントも熟知している人間が必要だということで白羽の矢が立ったのだと思います。中村さんが入ってくれたことで、スカウトとしては仕事がずいぶんやりやすくなったと感じていました。

 この年は金本と城島が引退して、藤川もメジャーに移籍。いよいよ世代交代のタイミングだったのですが、メジャー帰りの福留孝介と西岡剛、オリックスからFAの日高剛というベテラン3人を補強して戦力を整えました。

 このタイミングで下から活きの良い若手を抜擢したいところなのですが、外から実績ある選手を獲ってくる。これは当時の阪神の〝習慣〟でもありました。優勝を狙う上では編成的には仕方がない部分もあるのですが、スカウトとしては「今いる選手をもっと使って欲しいな」と思うものです。外から獲ってくるのも良いですが、それはその一瞬、その一年を凌ぐための補強に過ぎません。常勝球団はそのような場当たり的な編成は行わないものです。この頃の阪神は「常勝球団前夜」といったところでしょうか。

 この年は花巻東に大谷翔平(日本ハム1位/現・ドジャース)がいた時ですね。素材としてはもの凄いものがありました。獲れたとしてもピッチャーとバッター、どっちにするのかが決められないくらいの並外れた才能があった選手です。ですが早くからアメリカに行きたがっていましたから阪神としては狙った動きはしていませんでした。むしろ「アメリカで頑張れよ!」という感じで見ていたくらいです。そしたら日本ハムが強硬指名。「なんでやねん! アメリカに行かせたれよ」と思っていましたよ(笑)。

 一つ言えるのは、もしも大谷が12球団OKだったとしても、この年の阪神は大阪桐蔭の藤浪晋太郎(現・DeNA)を1位でいっていたということです。地域性もそうですし、何といっても春夏連覇したチームのエース、甲子園のビッグスターですから。4球団競合で引き当てた地元のスターが、高卒1年目から3年連続二桁勝利したのですから、途中から苦しんでいることを差し引いても、これはもう大当たりです。

 藤浪を外していた場合はNTT西日本の増田達至(西武1位)、龍谷大平安の高橋大樹(広島1位)あたりが外れの候補になっていかもしれないですね。

 星野さんがこのときは楽天の監督をされていて、三重中京大の則本昂大を2巡目で指名しています。1年目から15勝を挙げて日本一に大きく貢献した右腕ですが、阪神は獲得候補には入れていませんでした。則本は早くに日本生命に決まっていたのですが、途中で「やっぱりプロに行きたい」と心変わりしてプロ入りを希望していたのです。私も「池さん、則本いくんですか?」とよく聞かれました。ですが日本生命は地元の会社で、これまでもドラフトでは良好な関係を築いてきていますし、これからもお付き合いは続きます。阪神としては日本生命に対してしっかりした態度を見せないといけない立場でしたから、最初から則本指名の動きはしていませんでした。

 広島の2巡目が二松学舎の鈴木誠也(現・カブス)ですね。阪神は鈴木より先に光星学院(現・八戸学院光星)の北條史也を指名しています。結果論でいえば先に鈴木を獲れたわけですが、北條も良い選手でしたしやっぱり甲子園のスター選手です。ポジションがショートで「鳥谷の後釜」という芽もありましたから、阪神としてはやっぱり北條を指名します。この年の1位、2位は甲子園の投打のスター2人を獲れたのですから阪神的には万々歳でしたね。

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著者プロフィール

1976年、大分県速見郡生まれ。多くのスポーツサイトの企画・編集、ディレクターなどを経てフリーランスに。現在は少年野球、高校野球サイトのディレクターを務めながら書籍の企画・編集も行っている。主な書籍は『星野と落合のドラフト戦略』『ジャイアンツ元スカウト部長のドラフト回想録』『回想 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男』など。

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