ドラ1右腕・石垣元気はなぜ北海道→群馬の高校へ? 3年夏はリリーフ専念、きっかけは医師の助言
『高校野球 令和の継投論』から健大高崎高校・青栁博文監督の章を一部抜粋して公開します。
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北海道選抜でチームメイトだった下重賢慎と石垣元気
青栁監督によると、わき腹痛はウォーミングアップ不足で起きたもの。練習試合当日、風邪気味だった石垣はコンディション面を考えて、登板しない予定だった。それが、現地に着いてから登板を志願し、いつもよりも短いアップ時間で試合に臨むことに。準備の大切さを痛感するケガとなった。
下重は2年春のセンバツではベンチを外れたが、その直後の春の群馬大会、関東大会で好結果を残した。関東大会の宇都宮商戦では、初回の二番打者から8者連続三振を奪う快投を見せ、首脳陣に大きくアピール。キレのいい変化球が持ち味で、試合を作る能力に長けている。
下重と石垣は、ともに北海道出身で中学2年生の冬に組まれた北海道選抜でチームメイトとなり、12月に久米島で開催されたリトルシニアの選抜大会に出場している。同時期に石垣島で合宿を組んでいたのが健大高崎で、青栁監督は当時リクルートを担当していた赤堀コーチとともに視察に訪れた。最大の目的は、「好左腕」と評判を聞いていた釧路シニアの下重をチェックすることだった。
ところが、まったくノーマークだった洞爺湖シニアの石垣が投じるストレートに一目惚れして、下重と石垣の2人に声をかけることになった。当時の石垣は171センチ61キロとまだ華奢な体だったが、130キロを超えるストレートをバンバン投げ込んでいた。洞爺湖シニアの監督が、青栁監督と同じ東北福祉大のOBで後輩だった縁もあり、石垣の健大高崎入学が決まった。
下重は「入学してから石垣とのレベルの差がどんどん開いて、『こんなはずじゃなかったのに』と焦りもあった」と明かすが、体作りと変化球を磨くことに重点的に取り組み、徐々に頭角を現してきた。
3年春センバツでは、初戦の明徳義塾戦で先発のマウンドを任されて、延長10回までひとりで投げ抜き、3対1とロースコアの接戦をモノにした。さらに続く敦賀気比戦でも先発し、9回二死まで3失点の好投。最後は、復帰登板となった石垣がオールストレートでねじ伏せて、4対3で勝利した。
準々決勝の花巻東戦では、「ここでほかのピッチャーを投げさせないと優勝はない」と、青栁監督は技巧派左腕の山田を先発に抜擢。山田は5回1失点と試合を作ると、駿台学園中時代に日本一の経験を持つ右腕の島田が2イニングを抑え、8回からは石垣が締めた。前年に優勝したときよりも、明らかに投手陣の層は厚くなっていた。
なお、山田に加えて、キャプテンでショートを守る加藤大成も北海道出身。1年時には石垣、下重、加藤、山田の北海道組4人が同部屋となり、仲を深めてきた。先輩たちがこれだけ活躍すれば、「自分も健大で野球がやりたい」と思う北海道の中学生が出てくるのは自然な流れと言えるだろう。この話はまた後述したい。