24年センバツV左腕が夏にトミー・ジョン手術 名医が健大高崎監督に指摘した起用法の問題
慶友整形外科病院・古島弘三先生から受けた指摘
青栁監督と古島先生の出会いは10年以上前に遡る。知り合いを通じて紹介を受け、野球部員の前でトミー・ジョン手術の映像とともに講演をしてもらったこともある。「5年ぐらい前に、古島先生から『健大はヒジを痛めるピッチャーが多い』と注意を受けたことがあります。連投がダメという認識はあったんですけど、同じ日に間を空けて投げることも負担が強いと。以前は短いイニングでの継投が多かったこともあって、練習試合のダブルヘッダーの1試合目に2イニング投げて、2試合目にも2イニング投げる、ということをやっていました。古島先生によれば、その起用法はヒジの疲労が抜けにくい、ということでした。それをやるのなら、1試合目にしっかりとイニングを投げて、2試合目は休む。今はそのやり方が主になっています」
練習試合では、投手陣のローテーションをあらかじめ伝えるようにしていて、火曜日には週末の投手起用を発表する。基本的には1試合を2人でつなぎ、5イニング+4イニング(またはその逆)の組み合わせが多く、適性を見るために先発とリリーフを入れ替えることもある。よほど大量失点しない限りは、予定したイニングを最後まで任せる。
「登板してから2日間はノースロー。3日目からキャッチボールを始めて、登板2日前にブルペンに入って、自分の登板日に備えるというルーティンです。その間にトレーニングを行う。うちの場合、日頃の球数に関して、『投げすぎている』ということはまずないと思います」
ただやはり、公式戦となると予想外の継投は発生するものだ。佐藤の起用で見れば、2年夏の3回戦と準決勝で、投手→外野手→投手とマウンドに戻したことが挙げられる。
「あの継投は古島先生にも指摘されました。ただ正直、あの試合展開では佐藤をもう一度使わなければ負けていました。そういう継投を防ぐためにも、ひとりでも多くの信頼できるピッチャーを育てていかなければいけない。エースに頼る継投では、どうしてもひとりにかかる負担が強くなる。それを痛感した大会でした」
佐藤はトミー・ジョン手術を受けたあとも、定期的に慶友整形外科病院に診断に行った。ヒジの状態をチェックし、リハビリメニューの説明を受ける。寮生の佐藤を毎回のように車で送っていたのが青栁監督である。高崎市から病院のある館林市まで、車で1時間近くはかかる。
「それがオレの責任というか……、20回ぐらいは一緒に行って、古島先生の話を聞きました。佐藤の親にも、『私が一緒に付き添います』と約束をしました」
バッティングセンスも高かった佐藤は、2025年センバツで代打枠でのメンバー入りを目指し、見事に背番号18を勝ち取った。甲子園では4打数無安打に終わったが、大舞台に戻ってこられたことはひとつ大きな励みとなった。
投げるほうは2月の終わりからキャッチボールを始め、そこから徐々に距離を伸ばし、強度を高め、6月の練習試合で復帰登板を果たした。しかし、6月の中旬に左ヒジに強い張りを感じ、青栁監督はすぐに古島先生のもとに佐藤を連れて行った。
「古島先生によると、トミー・ジョン手術をしたあとにまた靭帯を痛めて、復帰まで長引くことがあるそうなんです。もしかしたらそれなんじゃないかと……。すぐに診断をしてもらったところ、一時的な筋肉の張りで少し休みを入れれば問題ない、ということでした。ホッとしました」
7月に入ると、群馬大会3回戦で1年ぶりとなる公式戦に登板し、最速147キロを記録。手術前の146キロを1キロ更新し、2年夏よりもストレートの強さは明らかに増していた。ドラフト会議では、潜在能力を高く評価したオリックスから3位指名を受け、ドラフト中継を見ていた佐藤は静かに涙を流した。トミー・ジョン手術から11か月で実戦に復帰し、ドラフト指名まで勝ち取る。誰もやっていなかった道を切り拓いた。
書籍紹介
「雨が降る前に傘を差す」早めの継投、
マシンガン継投、選手の身体を守る継投、
もしくはエースと心中……
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横浜 村田浩明監督
花咲徳栄 岩井隆監督
関東第一 米澤貴光監督
健大高崎 青栁博文監督
仙台育英 須江航監督
山村学園 岡野泰崇監督
立花学園 志賀正啓監督
SympaFit 加治佐平代表取締役