横浜高を25年センバツVに導いた“1球継投” 監督も「本当に怖い」と語る采配をする理由
『高校野球 令和の継投論』から2025年センバツに出場した横浜高校・村田浩明監督の章を一部抜粋して公開します。
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「1球継投」で流れを変えたセンバツ決勝
6回表、先頭の奥雄大をフォアボールで歩かせると、送りバントで一死二塁に。四番・福元聖矢(左打者)の3球目にワイルドピッチがあり、場面は一死三塁に変わった。カウントは2ボール1ストライク。4球目、アウトコースのストレートがファウルとなり、2ボール2ストライクとなったところで、ベンチの村田監督が動いた。背番号18をつけた3年生の左腕・片山大輔をマウンドに送り出す。
予期せぬタイミングでの継投にざわつく甲子園。片山と駒橋優樹のバッテリーは、サインを交換する前から、「スライダーで勝負」と決めていた。片山がもっとも得意とする球で、左対左の状況を考えればその一択だった。アウトコースを狙った球が体の近くに抜ける「抜けスラ」になったが、福元は腰を引きながらバットを振る形となり、空振り三振に仕留めた。
「試合途中に織田の爪が割れてしまって、しきりに気にする仕草がありました。それもあって、交代のタイミングを考えていたんですけど、打者心理を考えたときに、一番イヤなのは追い込まれてからの交代。織田の球をもう2打席見ているので、対応されると思いました。福元くんが左打ちだったので、片山しかいないなと。こういう継投は、白山高校の監督をしているときからたまに使っていました。何がなんでも勝ちたい、何とかアウトを取りたいという発想から生まれたものです」
「初対戦」「2ストライク」「左対左」「スライダー」と、打者側からすれば不利な条件しか揃っていなかった。
「1球目の練習は1球目にしかできない」
「練習試合でも、織田から片山に代えたときは打たれてないんですよね。織田のストレートから、片山のスライダー。片山の初見のスライダーは、バッターからするとなかなか難しいと思います」
勝負をかけた采配だったことは、守備位置からも見て取れた。6回表、2点リードで一死三塁。内野手は定位置に守って、「1点OK」の体勢を敷く考えもある。しかも、打者は三番だ。このほうがセオリーとも思えるが、内野手をあえて前進させて、1点もやらない体勢を取った。
村田監督は、試合前日からこの継投をイメージしていたという。
「決勝戦の前に、いや前日かな、片山に『お前あるからな。1球スライダーあるからな』って言ったんですよ。それなのに、決勝の4回か5回のときに片山が何か調子に乗って、ふわついていたので、ベンチで説教しました。『お前投げるんだぞ、あるんだぞ!』って」
片山は茨城・常陸太田シニア出身。入学時からポテンシャルの高さに期待をかけられていたが、1年生のときは野球をやる以前のところでうまくいかないことが続いた。監督曰く「蜂に刺されそうになって、逃げたときに足をケガしたこともありました」。
ようやく存在感を示したのが、2年秋の神奈川大会準決勝だ。三番手として最終回のマウンドに上がり、最速143キロをマークした。182センチ85キロの立派な体格で、一番の良さは腕を振ってスライダーを投げられること。この試合後、村田監督は「秘密兵器です」と期待を込めて口にしていた。
試合中、ベンチでの定位置は監督の隣。黄色いメガホンを持って、仲間に声援を送る。性格はかなり明るく、一言で表現すれば「ムードメーカー」だ。
「片山はすぐに調子に乗るんですよ。試合中、横からいなくなったと思ったら、違う場所で“ウェイ!”って感じで盛り上がっている。智辯和歌山戦もそんな感じでした」
決勝の大舞台で成功したからこそ、「片山の1球」として語られることになったが、「怖さもありました」と素直な気持ちを明かす。
「正直、三振を取れなかったらヤバイなって。ああいう継投は、うまくいかなかったら試合が壊れて、一気に相手の流れになる。練習試合で成功体験を積んでいたので、できたことです」
遡って考えれば、練習の段階から「1球」に対する集中力を高めなければならない。練習グラウンドの三塁側ベンチに、こんな言葉が貼ってあったことがあった。
『1球目の練習は1球目にしかできない 1球目にできてこそ本物』
野手で言えば、バッティング練習の1球目、シートノックの1球目。ピッチャーであれば、シートバッティングの1球目、そしてブルペンでバッターを立たせて投げるときの1球目。ここにどれだけの意識を持って臨めるか。「カウント途中での継投がある」と自覚できていれば、取り組みの質も変わっていく。