スカウトが振り返る、あの年のドラフト指名

「今や立派な虎の天敵」獲れなかった沢村賞左腕 元阪神スカウトが明かす"後悔"

永松欣也

仏教大時代の大野雄大。中日から単独1位指名を受けてプロ入りした 【写真は共同】

 毎年多くのドラマを生むプロ野球ドラフト会議。あの年の1位はどのようにして決まったのか? あの選手をどのように評価していたのか? あの選手はなぜ指名しなかったのか? 2001年から2014年まで阪神でスカウトを務めた池之上格氏に、選手指名秘話やドラフト舞台裏などを振り返ってもらった。

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『生駒の山に怪獣現る』衝撃の1年生

2007年のドラフトで大阪桐蔭の中田翔の交渉権を獲得したのは日本ハムだった 【写真は共同】

「今年は大阪桐蔭の中田翔で行きます!」

 2007年の「仕事始め」の場で沼沢正二本部長が開口一番こう言ったことを覚えています。球団代表が仕事始めにそんなことを言ったのは、後にも先にもこの年のだけ。四番の金本は健在でしたがこの年が39歳ですから、次の時代の四番バッターを獲りに行こうという決意表明ですね。

 ちなみに中田は金本と同じ広島県の出身。素行問題が囁かれていましたが、金本は私にこんなことを言っていました。

「中田はなんか色々言われとるんですか? (入ってきたら)俺がなんとでもしますから大丈夫ですよ」

 気が早い話ですが、中田が阪神に来たら「教育係は金本」ということは先に決まっていたのです(笑)。

 中田を最初に見たのは、辻内(崇伸/巨人1位)、平田(良介/中日1位)、炭谷(銀仁朗/西武1位)といった、後に1位でプロ入りする3年生たちを目当てに大阪桐蔭のグラウンドで行われた平安との練習試合を観に行ったときでした。その試合に1年生の中田も出ていたのです。中田は打つ方では左中間の土手に直撃するホームラン。ダブルヘッダー二戦目の最終回にマウンドに上がると炭谷を含めた相手バッターから三者連続の三球三振。私がレポートに『生駒の山に怪獣現る』と書いたほど、衝撃的な選手でした。

 中田のことを私も3年間追い続けました。ですがドラフトでは4球団が競合して阪神は外してしまいました。縁がありませんでしたね。中田は昨年限りで引退しましたが、よく頑張ったと思います。決して優等生タイプの選手ではなかったですが、日本ハムにもダルビッシュという「教育係」がいたことが本人にとっては良かったのではないでしょうか。

 この年のドラフトは、阪神に限らず全体的に見てもプロで活躍した選手が多くない年でした。そんななかでも丸佳浩(広島高校生3位/現・巨人)や中村晃(ソフトバンク高校生3位)、宮西尚生(日本ハム大学・社会人3位)はまだ現役で頑張っています。こういった選手になぜ目がいかなかったのか? そういうことを球団として反省しないといけないドラフトでしたね。

 この年の大学・社会人選手の1位は東洋大の大場翔太(ソフトバンク1位)を外して、阪神の外れ1位は福岡大の右腕・白仁田寛和でした。私が担当した大阪体育大の村田透、奈良産業大学の桑原謙太朗は阪神とは縁がなく、それぞれ巨人(外れ外れ1位)、横浜(3位)が指名。村田は巨人では芽が出ずに戦力外になると、その後はアメリカで6年プレーして日本球界に復帰。日本ハムで5シーズン投げた後はオーストラリア、ドイツなど世界を転々とさすらい、今年からは日本ハムのスカウトに就任しています。先日名護の日本ハムキャンプを訪問したときにはしっかりアテンドもしてくれました。世界を股にかけた苦労人の仕事ぶりが今から楽しみです。桑原も今年から阪神の2軍投手コーチです。自分が担当した選手というものは、他球団に指名されたとしても縁は続きます。彼らが今も野球界で頑張っているのは嬉しいものです。

 2008年はそれまでの高校生、大学・社会人で分離されていたドラフトが統一され、希望枠入団も廃止になった年で、目玉は東海大相模の大型内野手・大田泰示(巨人1位)でした。

 将来の四番が欲しい阪神は前年に中田を外していましたが「今年は大田で行こう!」とはなりませんでしたね。バッターとして比べたら中田の方が数段上ですし、大田のショートの守備ははっきり言って上手くない。ドラフト直前までずっと系列の「東海大進学」を表明していましたし、本人にとってもその方がいいだろうなと思っていました。それが締め切りギリギリになってプロ志望届を出していましたから、東日本統括の菊地さんとも「また巨人がやってるよ!」なんて言っていましたよ。

 私個人としては、大学と揉めてまで、喧嘩をしてまで選手を獲るのは好きではありません。良い選手が大学に行くのであれば大学野球も盛り上がりますし、4年後にまた獲得するチャンスも出てきます。何でもかんでもプロが獲ってしまえば良いとは私は思いません。

 阪神の1位は早稲田大の外野手・松本啓二朗(横浜1位)でした。外野にはレフトに金本、センターに赤星がいたものの、ライトだけが流動的に定まっていませんでしたから即戦力の外野が欲しかったのです。外野手では中日が日本通運の野本圭、広島が亜細亜大の岩本貴裕を同じ1位でいきました。松本も含めて実力はそんなに変わらない。そんな中で松本に行ったのはやっぱり岡田監督の母校でもあるから。そういったことも影響していたと思います。

 外野といえば、ロッテが2位でホンダの長野久義を指名しましたね。2年前に日本ハムの4位指名を断って巨人入りを夢見て社会人に進んでいたのですが、この年も願いが届かず、ロッテを再び拒否して話題になりました。阪神も担当の菊地さんがギリギリまで「阪神・長野1位」の可能性を探って動いていたようです。でも私は反対でした。極端に言えば「そこまで巨人に行きたいのなら邪魔せんで行かせてやったらえぇやん」ということです。

 あのとき松本を外した阪神が外れ1位で長野を指名していたらどうなったでしょうか?

「熱心すぎて」獲れなかったWBC選出捕手

福井商の捕手として甲子園に出場した中村悠平(右) 【写真は共同】

 阪神は外れ1位にNTT西日本の左腕・藤原紘通を指名して、こちらも楽天と競合して外して、外れの外れで指名したのが奈良産業大の右腕・蕭一傑でした。2人とも私の担当したピッチャーで、蕭には特に思い入れがあります。

 台湾から日南学園に留学し、卒業後は奈良産業大学へと進み日本語の読み書きも完璧でした。入団発表の時には台湾からご両親も来日されて大変喜んでおられました。台湾には兵役義務がありますから、球団としても覚悟を持った指名でもありました。

 2年目にはウエスタンリーグで最多勝も獲るなどドラフト1位投手の片鱗を見せましたが、一軍登板はプロ通算2試合のみ。わずか4年での戦力外となりました。担当スカウトとしてはもう少し見て欲しかったというのが本音です。

 その後はソフトバンクに育成で獲ってもらいましたが1年で退団し、台湾に戻り野球を続けました。引退後は台湾から日本ハムに入団した王柏融(現・台鋼ホークス/台湾)の通訳で来日。現在は台湾で投手コーチをしています。

 阪神を離れた後もクリスマス、正月などには毎年LINEで挨拶が届きます。蕭は日本人が忘れかけている義理・人情を持った男なのです。

 3位では早稲田大の上本博紀を獲っています。上本は2位までに消えると思っていましたから、この順位で残っていたので指名しました。鳥谷が抜けた後の早稲田大を引っ張っていましたし、体は小さくてもセンスがあるし足もあってどこでも守れる。プロで勝負できる選手だと思っていました。

 このときの3位は、西武が大阪桐蔭の浅村栄斗(現・楽天)、ヤクルトは福井商の中村悠平を指名しています。浅村の担当がバッティングを高く評価していました。でもショートの守りを含めてちょっと引っかかるところがあって上位では獲れませんでした。真弓明信新監督から「将来性よりも大学・社会人の即戦力で行って欲しい」という希望があったことの影響もあったと思います。この年の支配下指名は全員大学生ですから。

 中村は私が担当していました。もの凄く推していましたから、残っていたら4位で指名していたかもしれません。評価したのは肩です。長くスカウトをやってきて、高校生キャッチャーでは城島健司、炭谷に次ぐ選手だったと思います。福井県営球場まで黒田編成部長と一緒に行きました。

 ただ、私があまりに熱心に観に行っていたせいで、ヤクルトの担当スカウトが「上の方で指名しないと阪神に獲られる」と言っていたそうです。後になって知らされましたが。

 今思えば中村を獲るなら3位しかなかったですね。上本と中村を2人並べて「好きな方を選べ」と言われたら悩みます。ただ、ドラフトの時は真弓監督でしたけどシーズン中は岡田さんが監督でしたから、早稲田大との縁、繋がりも大事にしておきたい。鳥谷の後継者も作らないといけない。そういうことを考えると3位はやっぱり上本でしたね。

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著者プロフィール

1976年、大分県速見郡生まれ。多くのスポーツサイトの企画・編集、ディレクターなどを経てフリーランスに。現在は少年野球、高校野球サイトのディレクターを務めながら書籍の企画・編集も行っている。主な書籍は『星野と落合のドラフト戦略』『ジャイアンツ元スカウト部長のドラフト回想録』『回想 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男』など。

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