世界一から挑む「初代王者」への道 車いすカーリングペアの揺るがぬ決意
パラリンピック準備期間にあたる今、チーム中島の小川亜希、中島洋治、飯野明子コーチ、荻原詠理コーチに世界選手権優勝に至るまでの経緯や、パラリンピック本番に向けた思いを聞いた。
長野から始まった夢 偶然と縁が導いた競技人生
やがて怪我により車いす生活となった小川に、「車いすカーリングがあるよ」と声がかかった。
「声をかけていただいたおかげで、今もカーリングを続けられています」
そう笑顔を混じえながら当時を振り返る。
そして忘れてはならないのが、荻原コーチとの縁だ。小川は、荻原コーチの両親と車いすカーリングを始める以前からの知り合いだった。幼少期から成長を見守ってきた存在と、今は世界の頂点をともに目指す。
「一緒にパラリンピックへ行けることが本当にうれしい」。その言葉には、競技を超えた時間の重みがにじんでいた。
中島も小川と同じく競技歴20年以上のベテランだ。もともとは4人制で世界を目指してきた。
「最初からパラリンピックを強く意識していたわけではない」と中島は競技を始めた頃を振り返ったが、国内大会、世界大会を重ねる中で、“日本代表”という言葉が現実味を帯びていったという。
日本代表として世界を目指すようになり、4人制で出場したバンクーバーパラリンピックではスキップを務めた。その後、小川とともにミックスダブルスを本格的に取り組み始めたのは、種目として強化選考会が始まった約3年前。最初の大会で準優勝、その後2年連続で世界選手権出場と、着実に日本代表としての階段を上ってきた。
「楽しさを失わなかった」 競技を20年続けてこられた理由
そう答える中島は競技を続けてきた中で、競技レベルが伸び悩んだ時期もあった。それでもカーリングから離れなかったのは、“カーリングを楽しむ”という原点を都度再認識できていたからである。勝敗だけではない競技の価値を知っているからこそ、世界を目指し、続けられた。
小川にとっても“カーリングを楽しむ”ことは競技を続ける上での軸であった。国を越えたさまざまな人との出会い、ひとりではなくチームで戦うことを、カーリングを通して楽しんでいたという。その先にあったのが、バンクーバーパラリンピックへの出場だった。やはりパラリンピックというのは特別で、大会後には「もっとうまくなりたい」という競技者としての欲が芽生えた瞬間でもあった。
しかし仕事との両立、限られた練習時間など道のりは平坦ではなく、世界と戦うには決して恵まれた環境とは言えなかった。それでもアイスに立ち続けたのは、「カーリングが好きだから」。荻原コーチの言葉を借りれば、「一番カーリングが好きなチームが勝つ」という信念が、彼らを支えてきた。
そして2025年3月、世界選手権で優勝し、パラリンピックの出場権を獲得した。歓喜の瞬間を小川は「選手だけでなくチームでつかんだメダル。パラリンピックの出場権獲得は本当にうれしかった」と振り返った。長い歳月の結晶だった。日本としてはバンクーバーパラリンピック以降16年ぶりの出場が叶った。