東京五輪1964金メダリスト・桜井孝雄のジムから羽ばたく上机凜 ジュニア10冠のサウスポーの出会いと旅立ち
その都心のボクシングジムで4歳の頃から育った上机凜(かみつくえ・りん)というジュニアボクサーがいる。桜井さんと同じサウスポーで、やがて通算10個のタイトルを獲得するなど、小・中学生年代で名前を知られる存在になった。
目標は「オリンピックの金メダル」。2010年生まれの少年には、桜井さんが60年以上も前に成し遂げた日本ボクシング史上初の偉業は「ピンとこない」のが正直なところ。村田諒太さんの48年ぶりの快挙に沸いたロンドン五輪も2歳になる前だった。
東京五輪2020で入江聖奈さんが果たした女子初の殊勲は目に焼き付いているが、夢を抱くのは2019年9月、ジュニア・チャンピオンズリーグ(JCL)全国大会で初優勝した小学3年生の頃だった。
記念のベルトに「めっちゃ汚い字で自分の名前を書いちゃった」ぐらい嬉しかったが、「3日で、もうベルトはいいやってなった」と笑う。
1964年当時のパネル写真や賞状、トロフィーなど、栄光を伝える品々が飾られたジムで過ごし、桜井さんの長男・桜井大佑会長から貴重な金メダルを見せてもらったこともある上机には、ごく自然なことだったのかもしれない。
今春、中央区立銀座中学校を卒業し、東海大学附属熊本星翔高校に進学する。東京のど真ん中に生まれ育った少年は、本格的なアマチュアキャリアを熊本でスタートすると決めたのだ。
小さな体に大きな希望を抱き、築地のジムから羽ばたく15歳の出発点。それは幼い日にボクシングの楽しさを教えてくれた2人の元ボクサーとの出会いだった。
中学最後の1年と桜井大佑会長の思い
2025年9月7日、東京・後楽園ホールで行われた第7回JCL全国大会の決勝戦。上机はプロが主催するジュニア育成大会(18歳以下)のU-15・40.0キロ級で優勝、コロナ禍で中止になった2年を挟み、大会5連覇を達成した。
それでも笑顔がなかったわけは、本来は距離感に優れ、スピードとタイミングで勝負するはずが、いつになく力んでしまった試合内容にあったと思われた。
「倒したかった?」と尋ねても「よくなかったですね……」と歯切れが悪い。囲み取材が解けたところで「今年は獲れるものは全部獲ったし、よかったね」と声をかけると、ようやく少し笑顔になった。
JCLチャンピオン同士による最強決定戦を制した1月の第1回井上尚弥杯を含めれば、アマチュアの日本ボクシング連盟が開催する3月の第4回全日本アンダージュニア(UJ)フレッシュ大会、8月の第12回全日本UJボクシング王座決定戦、そしてJCLと通算4冠で中学最後の1年を締めくくったことになる。
他のジムの同世代の仲間たちに囲まれ、安どしたように談笑する上机を横目に「今日は力が入っていましたね」と投げかけると、桜井会長は「まあ、こんなもんですよ」と穏やかに笑った。こういう経験も悪くない、と。常に一歩引いた目で見守っている人、という印象を持ってきたが、桜井会長ならではの思いがあった。
桜井会長は習志野高校から本格的にボクシングを始め、明治大学で現役を終えるまでアマチュアのリングで戦った。高校3年時の国体3位が最高成績で、当時はそんなつもりはなかったはずが、どこかで「あの桜井孝雄の息子」という周囲の目、プレッシャーを背負い、思い返すと「伸び伸びやれていなかった」と話していたことがある。
「あんな感じで凜は最近、やたら泣くんですけど、そんなの必要なくて。この先で強くなってもらいたいから、いろいろ経験してほしいだけで。小学生、中学生で無双なんてしなくてもいいし、別に勝ったり負けたりでもよかったんです」
指導者や親が熱くなりすぎ、過度な期待で逆に子どもたちを縛りつけてしまうことがある。特にこの年代は持っている力を引き出し、伸ばし、結果だけにとらわれずに試合でぶつけることが大事、と自身の経験も踏まえ、大志を抱く少年に寄り添ってきた。
あの涙を「勝てて、ホッとしたのもあった」と上机は振り返る。照準を定めていたのは小学5年生、6年生と2連覇して以来、獲れていなかった全日本UJ王座決定戦。目標を果たした達成感で、JCLに向けては練習で追い込みきれなかったという。
父の上机洋平さんが「予選を含めて、今までで一番、試合数を重ねた1年だったかもしれない」と教えてくれた。最終盤の“息切れ”もあったのだろう。
洋平さんは高校、大学時代はボクシング部で、2012年1月10日に先代の桜井孝雄さんが亡くなった2カ月後、凜がまだ1歳の頃にジムに入会。親として普段の生活態度、練習に取り組む姿勢は厳しく注意しても、ボクシングに関しては「自分がでしゃばることではない」と一線を引いてきたという。経験者だからこそ感じ取れた桜井会長への信頼感があるからだった。
「このジムで会長に教わるようになって、ボクシングの奥の深さを初めて知りました。我々がやっていたものとは全然違う。トップの人たちは、こういう理論、哲学を持ってやっているのか、と」
そんな桜井会長のもと、上机はジュニアの時代を走りきった。