巨人をクビになりハローワークに通った男が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ”

3年目オフ・G小林誠司に何が? グアム自主トレから帰ってきたら180度キャラが変わっていた

田原誠次

【写真は共同】

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『巨人をクビになりハローワークに通った男が、工場勤務で見つけた“本当の幸せ”』から一部抜粋して公開します。

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同級生の「ダブルせいじ」

 小林誠司は入団した年こそ違いますが、年齢も「せいじ」という名前も同じで、メディアに「ダブルせいじ」と取り上げてもらう機会もありました。

 とりたてて仲がいいわけでも、悪いわけでもなく、気を遣わずに接する同級生という感じ。お互いに「せいちゃん」と呼び合っていました。その場にいれば話すし、いなければ話さない。遠征時に遊ぶこともあれば、遊ばないこともある。お互いに強く意識することもない、ラクな関係性でした。

 バッテリー同士なので、話題は配球など自然と野球に関する内容になります。「この場面ではどうする?」といった話ばかりで、プライベートの話をすることはあまりなかった記憶があります。僕は先輩の西村健太朗さんや森福允彦さんなどの先輩にお世話になっていて、投手陣のメンバーと食事に行くことが主流でした。一方、小林は野手の先輩と食事に行っているイメージでした。

 プライベートで一緒になる機会と言えば、1989年度生まれの同級生会になります。僕が巨人に在籍した当時、他にも菅野智之、丸佳浩、高木京介、藤岡貴裕、ヤングマン、藤村大介、中井大介と多くの同級生がいました(在籍年度はそれぞれ異なります)。

 僕たち同級生の関係性を一言で表現すれば、「まとまりがない」という言葉に尽きます。前もって同級生会のスケジュールを組んでも、直前になって体調を崩して「行けないわ」と言い出すやつ、「予定ができた」とドタキャンするやつが出現します。全員がきっちりと集合したのは、僕が在籍した9年間で1~2回しかなかったはずです。

 そういう僕も、1年目の同級生会を親族との食事会のためすっぽかしたり、確定申告の書類作成のため参加できなかったりしたので、偉そうなことは言えません。

 協調性はなくても、個々の色ははっきりしていました。まとまる時はひとつになり、波に乗ると盛り上がる。でも、乗らない時の静けさは半端ではない。「こいつら、周りに興味ないのかな?」と思ったことも一度や二度ではありませんでした。

 小林が巨人に入団したのは、僕より2年遅れの2013年でした。小林は広陵、同志社大、日本生命とアマチュア球界のエリート街道を歩んでいます。最初は「僕とは合わないだろうな」と想像していたのですが、実際に接してみると「意外と人間くさいところがあるんだな」と印象が変わりました。

 小林が入団した直後、ある支援者の飲み会で「できれば小林くんを呼んでほしい」というリクエストがありました。小林は巨人のドラフト1位ですから、注目度もケタ違いでした。僕が先輩風を吹かせて「どうする?」と小林に聞くと、「どうしようかな……」と困っている様子が伝わってきました。

 人見知りの自分も、小林の心情が理解できます。そこで、「時間も遅くなるし、明日もあるし、無理なら言っておくよ」と助け船を出すと、小林はホッとした表情で「それでお願いしてもいい?」と答えました。名門出身といっても人に慣れているわけではなく、気を遣うタイプなのだろうと推察しました。

 プロ1年目の小林に対するイメージは、「物静かで、人前ではっちゃけられないタイプ」というものでした。爽やかなルックスに似合うキャラクターだったのです。

 小林とバッテリーを組む時は「こっちが頑張らないといけないな」と投手に思わせる雰囲気がありました。捕手としての能力が低いわけではありません。大先輩の阿部慎之助さんがマスクを被る時は、サインに首を振ったことは一度もなく、「お願いします」という感覚。それが小林に代わると、「いつも以上に頑張らないと」という思いが湧いてくるのです。小林の末っ子っぽい雰囲気がそうさせているのかもしれません(実際には小林は3人きょうだいの次男で、末っ子ではないそうです)。

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