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呼び方からして一線がある
僕にとっては、菅野智之がそんな存在でした。1989年生まれの同級生で、同じ投手として巨人でプレーしていました。
呼び方からして、僕のなかで「一線」がありました。その日の菅野の様子を観察して、機嫌がよさそうだと思えば「トモユキ」、機嫌が悪そうだと思えば「スガノ」と呼ぶ。時には「僕なんかが軽々しく呼んでいいのかな?」と気恥ずかしさを覚えて、「トモユキ」と呼べなくなる日もありました。
菅野は「原辰徳さんの甥っ子」として、高校時代から有名だったそうです。宮崎の田舎者だった僕は、存在すら知りませんでした。自分が初めてドラフトにかかるかもしれないというタイミングで、ドラフト候補のなかに原さんの甥っ子がいるらしいと初めて認識しました。
菅野は巨人以外からの指名を拒否する姿勢を表明していたそうですが、僕はそのことも知りませんでした。ドラフト1位候補のことより、自分がドラフト下位で指名されるかどうかで頭がいっぱいだったからです。プロ球団から僕の元に届いた調査書は、巨人の1球団のみ。つまり、指名があるとすれば、ほぼ巨人に限られていました。
ドラフトで巨人から7位指名を受けたことは、当時所属していた倉敷オーシャンズの練習中に監督から知らされました。日本ハムが菅野を強行指名し、巨人とのくじ引きの末に交渉権を得ていた事件があったなんて、知る由もありませんでした。菅野が日本ハムの指名を拒否して浪人することを知ったのは、翌年の春季キャンプの頃でした。
菅野は翌年のドラフト会議で巨人に1位指名され、入団しました。でも、その年の僕は腰を痛めて、ほとんど1軍にいられませんでした。菅野はプロ1年目から13勝と立派な成績を挙げて、いきなり主力の仲間入りを果たしています。