R・マドリーのアルベロア新監督が施した2つの変化 それでも止まないブーイングと払しょくできない不穏な空気
前任者とはリバプール時代もチームメイト
それはレアル・マドリーが2月最初のホームゲーム、ラージョ・バジェカーノとのマドリード・ダービー(ラ・リーガ第22節)を、アディショナルタイムに「天から降ってきたPK」(マルカ紙)を得て、辛くも2-1で勝利した試合での出来事だった。80分に退場者を出したラージョを崩しきれなかったのだから(90+13分には2人目の退場者も)、サポーターの怒りも当然であっただろう。
シャビ・アロンソがR・マドリーのベンチから去って3週間――。そのバトンを受け取ったアルバロ・アルベロアは、23時すぎの試合終了から1時間以上が過ぎ、日付が変わるまで記者会見場に姿を現わさなかった。
BチームにあたるR・マドリー・カスティージャの監督からトップチームの指揮官に昇格したアルベロアは、18歳のときにこのクラブの下部組織に入団した。その後、デポルティボ・ラ・コルーニャでの半年を経てプレミアリーグの強豪リバプールに移籍。そこで選手として成長を遂げ、2009年の夏に26歳で古巣に復帰した。R・マドリーでは約7年間、センターバックや右サイドバックとして活躍している。
17年にウエストハムで引退すると、20年から指導者に転じ、R・マドリーの下部組織でコーチとしてのキャリアを積み重ねてきた。純粋培養ではないものの、かなりR・マドリーのカラーが強い人物だ。ちなみに前任のシャビ・アロンソとは、リバプールで3年間チームメイトとして過ごし、09年に同じタイミングでR・マドリーに移籍した間柄である。
選手とのコミュニケーションは積極的に
確かに結果がついてこなかったことが解任の一番の理由だが、真相を探れば選手たちとの確執が浮かび上がってくる。
分析を好むシャビ・アロンソと彼のコーチングスタッフが、模範とすべきプレー映像を選手たちに見せ、練習でその通りに再現するように命じていたのは有名な話だが、ラジオ局カデナ・セールのベテラン記者、アントン・メアナ記者に言わせれば、それは「優秀なプロ集団にとっては馴染みのない、少々強引な手法だった」。映像通りに再現できるまで繰り返されたというその練習は、アルベロアがチームを率いるようになってから跡形もなく消えてなくなった。
カスティージャを率いていたアルベロアだけに、当然ながらシャビ・アロンソのやり方に対して選手たちが不満を持っているという噂は耳に入っていただろう。同じ轍は踏むまいと、強い決意を胸にこの重責を引き受けたに違いない。
監督就任後のアルベロアが変えたことは、大きく2つある。1つは選手との距離の取り方だ。
シャビ・アロンソは監督と選手の立場を明確にすることを好み、練習でも主にフィジカルコーチが指揮を執り、彼自身が直接選手と言葉を交わす光景はほとんど見られなかった。そのため「誰が監督なのか分からない」と揶揄(やゆ)されたこともあったのだが、アルベロアはそれとは真逆の手法をとった。コーチにトレーニングの準備を任せる一方で、モチベーションを上げる言葉をかけるなど、選手とのコミュニケーションを深めることに積極的だ。
もう1つはフィジカルコーチの扱いだ。R・マドリーにはアントニオ・ピントゥスという伝説的なイタリア人フィジカルコーチがいる。16年1月にジネディーヌ・ジダンが監督に就任した際に、彼がクラブに頼み込んで連れて来た人物だ。ジダンがユベントスに所属していた選手時代に知り合ったというピントゥスは、そのスパルタスタイルから「軍曹」「ディアブロ(悪魔)」といったニックネームで呼ばれているが、15-16シーズンからのチャンピオンズリーグ(CL)3連覇の偉業も、彼がフィジカル面の指導の一切を取り仕切ったからだともっぱらだ。
そして、63歳になった今もピントゥスは、フロレンティーノ・ペレス会長のお気に入りだ。シャビ・アロンソがレバークーゼンの監督時代からのフィジカルコーチを連れて来たため、一時的にそれまでの立場を失ったが(肩書がパフォーマンスマネージャーに)、こうしてシャビ・アロンソが去ったタイミングで、アルベロアは再びピントゥスをフィジカルコーチとして現場に呼び戻している。
「彼と一緒に働けるのは光栄なことだ」。そう言ってピントゥスを歓迎したアルベロアが、その長身を折り曲げるようにして小柄なコーチの話に頷いている練習中の姿を見ると、どちらの立場が上なのか分からなくなってしまう。ペレス会長が裏で糸を引いているせいかと、勘繰りたくもなるものだ。
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