近鉄バファローズ豪快伝説 球団消滅から20年、今明かされる、真実

「先輩たちはみんな…」近鉄文化に圧倒された加藤哲郎 同い年の阿波野秀幸との初対面は例を見ない形に

株式会社KADOKAWA

【写真は共同】

 プロ野球の球界再編で近鉄バファローズが消滅してから丸20年が経過した。

 にもかかわらず、野球のオールドファンは“近鉄愛”を持ち続け、メディアではたびたび「近鉄」がテーマになっている。

 故・西本幸雄監督が作り上げた軍隊式の厳しい練習もさることながら、いわく二日酔いで打ち続けた、いわく優勝旅行は貧乏旅行、いわく登板直前まで漫画を読んでいた――と、昭和らしい伝説は枚挙に暇がない。

 節目の年に「近鉄バファローズの伝説」を一挙にまとめ、栄光の裏で起きていた豪快かつ愉快な一面をフィーチャー。近鉄の野球史を次世代に残す意義のある一冊である。

 『近鉄バファローズ豪快伝説 球団消滅から20年、今明かされる、真実』から一部抜粋して公開します。

「おかしい、こんな光景はあり得ない」

 率直な男である。加藤哲郎は率直過ぎて、損をしてきたのかもしれない。1989年日本シリーズ第3戦。近鉄は巨人に3連勝を飾り、球団初の日本一へ王手をかけていた。勝利投手となった加藤は、試合後のインタビューに応じ、強気のコメントを口にした。「(巨人打線は)たいしたことなかった。打たれそうな気はしなかった。シーズン中の方がよっぽどしんどかった」。それが「巨人はロッテより弱い」と表現され、失言としてバッシングを受けた。

「当時、巨人打線は原辰徳さんの25本塁打がチーム最多で、ウォーレン・クロマティは15本塁打。本塁打打者が少ない状況でした。クロマティは打率3割7分8厘でしたが、足が速いわけではないので打たれてもシングルヒットの可能性が高い。セ・リーグの優勝が早く決まったことで、巨人は試合から日が空くわけですから、怖い打線かと言えばそうではなかったわけです」

 そんな加藤にも初々しい時代があった。18歳で宮崎から大阪に出てきたとき、近鉄の文化に圧倒されることとなる。

「見た目は俗に言う、暴力団系の様相でした(笑)。先輩たちはみんな、いかつかったですね。僕が入団した頃の梨田昌孝さん、羽田耕一さん、栗橋茂さんたちはまだ30歳くらいでしたが、今の30歳はまだ若い感じがするけれど、40年前の30歳はだいぶ老けて見えた時代。梨田さんはそこからずっと若々しいままで、60歳くらいのときにお会いしても当時とあまり変わらない感じでした。でも、チームには当時流行していたパンチパーマの先輩も多かったので、当時の僕にはみんな“いかついおっさん”に見えたんです。

 その上の世代に(捕手の)石山一秀さん、(右腕投手の)谷宏明さんがいらして、組事務所から今出てきたみたいな感じがして怖かったです。僕も宮崎ではまあまあヤンチャなタイプでしたが、とくに石山さんと谷さんは迫力があり過ぎて、圧倒されてしまいました。谷さんは当時、上から下まで白色のスーツにパンチパーマ、白のエナメルの靴を履いていました。時代の流行がそうだったのだと思いますが、やっぱり怖い。そう思っていたら、1年目のキャンプで初めてミーティングをしたら、谷さんが石山さんに呼ばれて『おい、谷!』『はい!』とやっている。しかも、石山さんに怒鳴られているところも見てしまったんです。

 あの怖い谷さんを怒鳴る石山さんって、どういう人なんだろう――また怖くなっていると、宿舎の通路を真っすぐ歩いていたら、向こうから石山さんが来たんです。怖過ぎるので、僕は直角に曲がりました(笑)。それまで誰に会っても怖いなんて思ったことはなかったのに、石山さんだけは本当に……。しかも真面目で、言っていることに筋が通っているんです。だからよけいに怖い。

 さらに上の上の世代には、板東里視さんというコーチがいらして、この方もまた迫力のある人。当時のミナミは治安が悪く、宗右衛門町には絶対に行くなという時代に、板東さんは宗右衛門町でお店を経営していて、サングラスをかけて道のど真ん中を歩いていたと。本職の怖い人たちもみんなサーッと避けるという伝説がありました。本当かどうかは分かりませんが、見た目はもちろん超いかつい。土井正博さんも迫力のある人でしたが、板東さんの前では直立不動で『はい』としか言わない。近鉄の“怖い人選手権”があるとしたら、僕が入ったときは板東さんが一番でした」

 第一印象は恐ろしくても、話してみると意外とそうでも――というパターンはあるが、最初に刷り込まれた恐怖はなかなか消えなかったという。

「石山さんと一緒にいたのは1年間だけ。僕がシーズン最終戦にプロ初先発をしたときに、石山さんはプロ入り10年目にして1号本塁打を左翼席へかっ飛ばして、それを花道に退団された。そのあとスカウトになられて、数年後に球場でお会いしたらニッコニコなんですよ。とても優しく柔和な、気のいいおっちゃんになっていて、本当に同一人物なのかとびっくりしました。現役時代は気を張っていたのでしょうね。

 そのあと、権藤博さんが石山さんをブルペンコーチとして呼ぶことにしたので、『石山さんが現場復帰や、どうしよう』と思っていました。実際にコーチになると、石山さんは権藤さんにからかわれても、ブルペンを見ながらニコニコしている。それを見た吉井理人や小野和義が石山さんにちょっかいを出した瞬間、僕は戦慄(せんりつ)しました。『おかしい、こんな光景はあり得ない。あの2人は石山さんの怖さを知らないのか』と。そうしたら、吉井や小野は石山さんの頭を触っているし、石山さんが笑顔で『お前ら、やめい! ハゲ言うな』と楽しそうにしている(笑)。僕より下の世代の選手は、怖かった時代の石山さんを知らなかったのです。

 僕は石山さんにそんなことは絶対に言えない。怖過ぎてそんなことはできるわけがない。もう、ずっと怖いんです。初めのインパクトが強過ぎて、石山さんに冗談すら言ったことがありません。球場で会うとそれこそ直立不動。後輩たちは知らぬが仏です。

 でも、僕は僕で、後輩たちに怖がられていたみたいです。現役を引退して飲み屋を始めたときに、野茂から電話がかかってきました。『今から飲みに行っていいですか?』『おー、ありがとう』『4人で行こうと思っています』『ええよ。おいで』。その4人のうち野茂、佐野(慈紀=重樹)、赤堀(元之)とはある程度付き合いがあったのですが、小池秀郎は、僕が近鉄からいなくなったあとに入ってきた選手なので、あまり接点がありませんでした。

 4人がやってきてみんなでワイワイしていると、小池が緊張の面持ちで固まっているんです。『おう小池、どないしてん』と聞いたら、『僕、加藤さんが笑っているところを初めて見ました』と言われたんですよ。『ほんまかいな。人聞きが悪いから、お前、よそで言うなよ』と返したのですが、要するに僕の石山さんに対する気持ちと同じだったわけです(笑)」

 当時の近鉄には迫力ある選手もさることながら、激情をあらわにする選手が多く、佐野、吉井、そして加藤は「器物破損系」トリオだったという。

「そのようなこともありましたね。今はもう直っているのかもしれませんが、東京ドームのとあるロッカーが曲がっているのは、僕が一番初めに蹴ったからだと思います。あと、1989年の『10・19』では、吉井と2人で川崎球場の古い木製の棚のようなものに穴を開けた記憶があります。川崎球場では、ロッカーも蹴り上げて曲げました」

 試合中のブルペンでは、なんだか暇だからピッチング練習をここらへんで一度しておく、という“なんとなく”の慣習に牙をむいていた。

「佐野と2人でブルペンにいたときに、投手コーチが『佐野、そろそろ一度ピッチングしとくか」と言ってきました。『いや、やらんで。今はやっても、どうせ(試合で今は)投げへんやん』『投げなきゃいけないときは分かるから。今、暇やからちょっとやっとくみたいなことやめよう』と返していました。だって、意味がないじゃないですか。

 清川栄治さんが1991年に広島からトレードで近鉄にいらしたときに、ランニングのメニューをコーチから説明されて、さあいざ走ろうとなったときに、僕は走らなかったんです。『加藤、ランニングは?』『僕は、今はいいです。出番は後なので』と断ったことがありました。それを聞いた清川さんが『俺、ショックだった。カルチャーショックや』と言っていました。コーチに練習内容を言われて、『僕はいいです』と答えるなんて初めて聞いた、広島ではあり得ないと。でも、僕は何だったら、練習開始時間もナイターの日は、自分が来るのは午後5時でいいんじゃない? と思っていたくらいでした。意味がないことはやらなくていいんじゃないかと、ずっと思っていました」

 恐れられる先輩は、新人ととんでもないかたちで初対面を果たしたこともある。

「門限過ぎた深夜に寮へ帰ると、いつもなら開いているところに鍵がかかっていました。その次に開いているはずのところに行っても閉まっていて、これは部屋に入れないなと思っていたら、寮の2階に一つだけ電気がついている部屋があったんです。ここしかないと思って、雨どいみたいな管をつたって2階までよじ上りました。窓を開けたら、そこに入寮初日の阿波野秀幸がいた。『ごめん、ちょっと入らせてくれ』と窓から入れてもらい、『ありがとう。まあ、君は僕のことは知らんと思うけれど、加藤といいます。同い年やんな。きょうから来たのか。頑張ろうね、おやすみ』と言って自分の部屋に向かいました(笑)」

書籍紹介

【画像提供:KADOKAWA】

プロ野球の球界再編で近鉄バファローズが消滅してから丸20年が経過した。

にもかかわらず、野球のオールドファンは“近鉄愛”を持ち続け、メディアではたびたび「近鉄」がテーマになっている。

故・西本幸雄監督が作り上げた軍隊式の厳しい練習もさることながら、いわく二日酔いで打ち続けた、いわく優勝旅行は貧乏旅行、いわく登板直前まで漫画を読んでいた――と、昭和らしい伝説は枚挙に暇がない。

節目の年に「近鉄バファローズの伝説」を一挙にまとめ、栄光の裏で起きていた豪快かつ愉快な一面をフィーチャー。近鉄の野球史を次世代に残す意義のある一冊である。
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