北京の挫折、負傷、事故を乗り越えてつかんだミラノ 新濱立也が振り返る苦闘と妻・吉田夕梨花の支え
34秒40に込められた「安堵」と「確信」
「色々なことがあって今日に至ったけれど、まずは結果につなげられことで本当に一安心しています」
そう語る新濱の声には“やっと辿り着けた実感”がにじんでいた。まず直前の練習でこのようなアクシデントがあった。
「先週の土曜(12月20日)、スタートの練習中に今シーズンから履き始めたブレードが壊れてしまって、月曜からスペアブレードを履く事態が起こりました。『ここに来ても試練だな』と正直思いました。1レースもしていないブレードが全開で行ったときに使えるものなのかどうなのか。その不安はありました。なおかつSS標準の(34秒)51を必ず切らないとミラノの舞台に行けません。本当に色々な思いのある中で、何とか試練を乗り切れたかなというところです」
新濱は「ゴールするまでタイムがどうなっているのか分からなかった」と振り返るが、日本連盟が設定した派遣標準記録の最高位「SS」を上回り、出場権獲得を決定づける滑りだった。吠えるようなリアクションは勝利の歓喜ではなく、生き残った者の叫びだった。
北京五輪20位。その後4年間の停滞
結果が出ないだけではない。24年3月に腰椎の圧迫骨折を経験し、25年4月には交通事故による顔面骨折を含んだ大怪我もあった。
「辛くない時期は正直なかったです。4年間を振り返っても、2年連続で大怪我をしています。気持ちを折ることなく常に前向きに練習へ取り組むことができて、それが少しずつ結果につながって、やっとこの選考会にたどり着いた感じです。本当に首の皮一枚つながった状態で、常にこの4年間はやってきました」
日本の短距離界は層が厚く、若手も次々と台頭してくる。その中で新濱は“実績はあるものの不安定”という見方をされていた。本人も「崖っぷちが何度あったか分からない」と口にする。期待され続けた選手が、結果を出せない現実は重い。今回の代表入りは、ようやく辿り着いた闇からの「出口」だった。