書籍『獅子回顧録』

監督代行就任と同時に渡辺久信GMは退団を決意 パ史上最低「.212」の根本的要因は?

渡辺久信

【写真は共同】

「ライオンズは強くなければいけない」
チームづくりに奔走
栄光と苦悩と激動の20年

選手、監督、フロントとしてライオンズに長く関わってきた渡辺久信氏がチームづくりを振り返る。
2004年に二軍の投手コーチとしてライオンズに復帰してから、GMを務めた2024年までを中心に振り返った書籍『獅子回顧録』(渡辺久信著)から一部抜粋して公開します。

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松井稼頭央監督のマネジメント力

 稼頭央を楽天から呼んできたのは私であり、その責任もあった。

 稼頭央は、1994年から2003年まで西武でプレー。持ち前の身体能力の高さを生かして、3度の盗塁王を獲得し、7シーズン連続で打率3割を記録した。その後、大リーグで7年、楽天でも7年プレーし、2018年に西武に戻ってきた。

 楽天では選手としての契約は終わりで、コーチのオファーがあったようだが、稼頭央自身はまだ現役を続けたい気持ちがあった。その情報を得たうえで、シニアディレクターの立場で「現役はあと1年。そのあとは指導者として、ライオンズに貢献してほしい」と直接交渉に行った。

 2018年は選手兼テクニカルコーチで契約し、2019年から二軍監督、2022年からは辻発彦監督のもとで一軍ヘッドコーチを任せ、一軍監督になるためのステップを着実に歩んだ。満を持して2023年に監督に就き、1年目は借金12で5位、2年目は4月から最下位に沈んだ。

 稼頭央は人柄がよく、性格もよく、選手にも優しい。選手のことを信じて、見守るタイプだ。マスコミへのコメントを見ても、感情的になることはなく、淡々と言葉をつなぐ。人としては最高だが、トップチームの監督として見たときには課題もあった。それは、チームを言葉で引っ張り、マネジメントしていく力だ。時に厳しく、時に優しく。低迷しているときこそ、ひとつの方向に導く言動が必要になる。そのあたりの姿を見て、会社側も「休養」を決断せざるをえなかった。

 稼頭央に休養を伝える場に、私も同席していた。奥村剛社長からその旨が伝えられたが、びっくりしたような稼頭央の表情が忘れられない。GM としては、監督・松井稼頭央を守れなかった想いがある。直前のオリックス3連戦で2勝1敗と勝ち越していたこともあり、このタミングでの休養は考えていなかったのかもしれない。本心ではもっと監督を続けたかったはずだ。だが、その気持ちをグッと飲みこんで、休養を静かに受け入れていた。

 2023年から、松井監督をサポートする形で平石洋介をヘッドコーチに据えた。PL 学園の先輩・後輩の間柄で、物静かな松井監督に対して、平石は選手に対しても厳しいことを言える。チームを引っ張るための言葉も持っている。稼頭央にとって、気心が知れた腹心をひとり置いてやりたいと思っていたのだ。

 平石は楽天の監督を務めたあと、2021年までソフトバンクの一軍打撃コーチをしていた。西武が一軍打撃コーチとして招いたのが2022年。ソフトバンクからも引き続きオファーがあったようだが、私が西武に必要な人材であることを伝え、「いずれは稼頭央が監督をやるから、そのサポートをしてほしい」と正直に告げた。最終的には先輩である稼頭央からの一押しを加え、無事に契約を結ぶことができた。このときから稼頭央が監督になるときには、ヘッドコーチを任せようと考えていた。チームがうまくいかない中でも、平石はさまざまな面で監督をサポートし、力を尽くしてくれたと思う。

 2024年、ともに戦っていた稼頭央が辞めたことで平石も西武を去ることになったが、球団としては契約延長の提示をしていた。今の西武には厳しさを持つ平石が必要だと評価していたからだ。ただ、平石の返事はNO だった。稼頭央が辞めた中で、自分だけが残るのは仁義に反するという気持ちがあったようだ。ソフトバンクでコーチを続けていればまた違うキャリアがあったと考えると、平石を呼んできた責任者として今も申し訳ない気持ちが残っている。

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