WBC経験者が選んだ、侍ジャパンメンバー30人

和田毅が選ぶWBC侍ジャパンメンバー30人(内野手・外野手編) 「これ以上の選手はいない」外野の4人

永松欣也

イチローさん、王会長と思い出のシャンパンファイト

2003年の第1回WBCで優勝を決めマウンドに駆け寄る日本ナイン 【写真は共同】

 2006年の第一回大会の時はWBCが世間に全然認知されていませんでした。東京ラウンドを戦うために東京入りして、滞在先ホテルの近くのご飯屋さんに行ったら「なんで東京にいるんですか? WBC? なんですかそれ?」ってお店の人に言われたこともありました。大会のことが全然知られていなくて悲しかったですね(笑)。

 僕が登板したのは第二ラウンドのメキシコ戦。先発した(松坂)大輔のあとを受けて2イニングを投げました。ソフトバンクの時とは違う中継ぎという役割でしたが、鹿取義隆コーチから「今回は中継ぎで頼むな」みたいなことは言われていました。中継ぎというか第二先発ですよね。NPBと違って球数制限があるので、先発ピッチャーも限られた球数の中で投げないといけないですから、6、7回まで投げられるわけではありません。どうしても2人目の先発、長く投げられるピッチャーが必要になります。

 先発ピッチャーだったら、「大輔はメキシコ戦で行くぞ」とか事前に言われますけど、それは第二先発も同じでした。「メキシコ戦で大輔の次に二番手で行く」ということは、だいぶ前から言われていました。試合展開によって急に「頼むぞ」というのは第二先発に関してはなかったですね。リリーバーだったりクローザーであれば当然展開によっては急に行く場面もありますけどね。

 先発と第二先発はセットになっていて、どの投手と組むかも決まっていました。右右で同じようなスピード帯で行くとやっぱりちょっと違う。変化球も全く同じだとイメージが同じになってしまう。僕の場合は先発の大輔が右で僕は左ですし、タイプ的に全然違ったので相手チームからしたら嫌なコンビだったと思います。

 今はスピン量だったり変化量とかを測定できる機械もありますから、より効果的な先発と第二先発の組み合わせを考えることができますよね。

 準決、決勝は第二先発で投げる予定は最初からなかったですけど、リリーバーと同じように、いつでもいける準備はしていました。そこまで来たらもうスクランブルですからね。

 優勝した後のことはハイテンションになっていましたから、ほとんど覚えていないですが、上原浩治さんがイチローさんにシャンパンをかけまくっていたのは覚えています(笑)。

 あのイチローさんも凄いハイテンションになっていましたし、僕もイチローさんや王(貞治)会長にシャンパンをかけさせていただいて、「あぁ、優勝したんだ! やったんだ!」みたいな感慨がありました。王会長には「本当によく頑張った!」「肘は大丈夫か? 日本に帰ってからも頼むぞ」みたいなことを言われたような記憶があります。

 来年のWBCは1人のファンとして応援する立場なのですが、やっぱり世界一を期待しています。WBCという舞台に立てること自体が素晴らしいことだと思うので、その舞台で、日の丸の誇りを持ってプレーして欲しいなと思います。

※リンク先は外部サイトの場合があります

3/3ページ

著者プロフィール

1976年、大分県速見郡生まれ。多くのスポーツサイトの企画・編集、ディレクターなどを経てフリーランスに。現在は少年野球、高校野球サイトのディレクターを務めながら書籍の企画・編集も行っている。主な書籍は『星野と落合のドラフト戦略』『ジャイアンツ元スカウト部長のドラフト回想録』『回想 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男』など。

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント