苦境、苦戦を乗り越えた長崎のJ1昇格 引き出される「街」とプロスポーツの可能性

大島和人

長崎のJ1昇格を喜ぶ髙田明・元社長と高木琢也監督 【(C)J.LEAGUE】

 V・ファーレン長崎が8年ぶりにJ1へ帰ってくる。長崎は首位でJ2最終節・徳島ヴォルティス戦を迎え、1-1で引き分けた。水戸ホーリーホックに逆転されてJ2優勝こそ逃したが、38試合を勝ち点70の2位で終え、自動昇格を決めている。

 長崎は昇格の本命として2025シーズンを迎えたものの、決して順風満帆な航海ではなかった。下平隆宏・前監督はシーズンの折り返しとなる第19節(長崎 3△3 大宮)後に契約を解除され、「代表取締役兼クラブリレーションズオフィサー」を務めつつ現場から離れていた高木琢也氏に指揮官が変わった。

 前半戦終了時点では勝ち点28の8位で、自動昇格圏内の2位とは「10ポイント差」がついていた。しかし長崎は後半戦を12勝6分け1敗の勝ち点42で終え、鮮やかなV字回復に成功した。

 11月29日の徳島戦も前半を0-1のビハインドで終え、同点に追いついたものの終了間際に1点モノの大ピンチを迎える薄氷の展開だった。しかしGKのスーパーセーブでしのぎ、3位・ジェフ千葉との「勝ち点1差」を死守した。

苦戦をしのいで昇格を決める

 ボールの保持、決定機の数は明確に徳島が上回った試合だった。高木監督はこう振り返る。

「徳島さんが嫌な位置に立ち、我々の少しウイークな部分を突くアプローチでした。そこは我々も分かっていましたが、思った以上にその精度が高かったです。後手を踏んで、我々は特に攻撃のミスも多く、奪ったボールをつなぐ判断力がちょっと低かったです」

 41分にセットプレーから失点し、長崎は0-1のビハインドで前半を終えた。

 徳島は勝ち点64の4位で最終節を迎えていた。その時点で2位だった水戸と勝ち点3差で、自動昇格圏内(2位以上)の可能性を残していた。となればどうしても「1点を守る意識」が増していく。

 長崎の翁長聖は言う。

「心の中に『こういう展開になるだろうな』というものがありました。相手は勝たなければいけない試合で、パワーで相手が上回ることはあり得ると思って準備をしてきました。本当にそうなって、失点もしてしまったんですけど、(山口)蛍くんを含め経験のある選手がいて。マテウス(・ジェズス)もいます。チームとしてチャンスは転がってくると思っていました」

 68分の同点ゴールはJ2得点王のマテウス・ジェズスでなく、右ウイングバックの翁長が決めた。ゴール右の角度がある位置だったが、プレッシャーのかかる状況で冷静にコースを狙っていた。

「(笠柳)翼の球がこぼれてきたときに、自分がフリーなのも分かりましたし、相手がどこにいるかも大体分かっていました。相手に当たりましたけど、入ってよかったです」(翁長)

 90+7分のピンチは、相手の左クロスが流れ、完全フリーのトニー・アンデルソンに渡ってしまった。しかしGK後藤雅明がニアからファーへ鋭く移動し、シュートコースを狭めて、顔面でブロックした。センターバックの新井一耀は言う。

「クロスを上げられて振り返った瞬間に、これはもうヤバいなと思いました。だけどごっちゃん(後藤)がすごいスピードで詰めていた。流石です」

 長崎は1-1で試合を終えた。3位・ジェフ千葉は5-0と快勝し、得失点差で長崎を上回っていた。このシュートが決まっていれば長崎は勝ち点69にとどまり、3位に沈むところだった。

サポーターが支えた後半の守備

多くの長崎サポーターがアウェイに駆けつけた 【(C)J.LEAGUE】

 試合が終わって振り返ったとき、一つのポイントはコイントスだった。徳島がサイドを変えたため、両チームは後半の勝負どころで自分たちのサポーターを背に守る状態になった。

 最終節のチケットは完売し、長崎側のゴール裏も「声出しサポーター」で埋まっていた。守護神の後藤はこう振り返る。

「徳島はこのスタジアムに慣れているし、日がどう傾いてどのくらいで沈むとか、屋根がどう影響するとか、分かった上で(サイドを)変えてきたと思います。それは今までも試合もありましたし、特に意識せずプレーしていました。でも最後、後ろにいる長崎サポーターは本当にホームのように後押ししてくれて、そういったことが結果につながったのかなと今思っています」

 ポカリスエットスタジアムは、公共交通機関のアクセスがかなり不便な場所にある。鳴門駅からは徒歩25分と一応徒歩圏内だが、JRは1時間に1本。高速バスの本数は十分にあるが、バス停からスタジアムまで3キロ以上ある。

 しかし兵庫、大阪からの高速バスは長崎サポーターで埋まり、12時前後に到着する便はどれも満席だった。筆者が乗車した三宮発の高速バスは「高速鳴門」で乗客の3分の2が下車し、ほぼ全員がスタジアムまで徒歩で移動していた。

 新幹線、飛行機、フェリーと四国や関西圏への移動手段はある。ただどれに乗っても時間と費用がかかるし、乗り換えもそれなりに大変だ。そんな中、ともかく長崎サポーターは大移動をして鳴門に駆けつけていた。その熱気が後藤のスーパーセーブと昇格を後押しした。

高木監督はどうチームを建て直したのか?

山口蛍主将(左)は髙田旭人会長(右)の説得を受けて長崎入りを決めた 【(C)J.LEAGUE】

 高木監督は2006年の横浜FC、2017年の長崎でチームをJ1昇格に導いている。今回の昇格はシーズン半ばの、良くも悪くもチーム作りが進んだ状況での就任だった。彼はこうチームの修正を振り返る。

「自分で話すのはちょっと難しいですけど。選択肢を与えることです。『それを必ずやりなさい』でなくて、選択肢は持ちながら、自分たちのアイディアを持ってやってほしい、プレーしてほしいとずっと伝えてきていました」

 布陣は第16節・大分戦から[3-4-2-1]を採用していて、高木監督もそこは踏襲した。ただプレーモデルが細かく定められていた下平監督当時に比べて、「マニュアル」の分量は減った。一方で原則が徹底されるようになり、遂行力が上がった。

 新井はこう説明する。

「やることがはっきりしたし、あまりリスクを負わなくなりました。後ろは『人に強く』というところを言われました。誰かが強く行ったカバーもはっきりして、守備面はそこがよかったと思います。自分は後ろをカバーするタイプなので、行ってもらってからの回収、取ってからしっかりつなぐところを意識してやっていました」

 キャプテンの山口蛍は振り返る。

「一時期はもう昇格が難しいくらいの勝ち点差が開いて、そこから考えると本当にここまで、みんながよくやってきたなと思います。勝負に徹することができなかった最初の時期から、ある程度うまくいかなくても勝負に徹する戦い方ができるようになったところが、大きな変化でした。前半戦は『自分たちがやりたいこと』に囚われすぎて、そこで失点も重ねたし、勝ちを拾えなかった。高木さんになって勝ちにこだわる度合いが強くなって、勝ちながら修正していけました」

 長崎は前半戦19試合の失点数が「32」で、これはJ2全体でも3番目の多さだった。しかし後半戦19試合は12失点と劇的に改善している。

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著者プロフィール

1976年に神奈川県で出生し、育ちは埼玉。現在は東京都北区に在住する。早稲田大在学中にテレビ局のリサーチャーとしてスポーツ報道の現場に足を踏み入れ、世界中のスポーツと接する機会を得た。卒業後は損害保険会社、調査会社などの勤務を経て、2010年からライター活動を開始。取材対象はバスケットボールやサッカー、野球、バレーボール、五輪種目と幅広い。2021年1月『B.LEAGUE誕生 日本スポーツビジネス秘史』を上梓。

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