「勝負はグラウンドだけじゃない」プロ野球・銭闘の歴史10選 契約更改での「名言」をプレイバック!
契約更改は、ある部屋で「球団代表、査定係、経理担当」らと「該当選手」の交渉が行われる。交渉を終えて会見を行う記者室に現れるや、満面の笑みをたたえる者がいれば、不平不満をブチまける者もいる。
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トレンディエースの捨て台詞「やってられるか!」 西崎幸広(日本ハム)
「やってられるか。5年連続2ケタ勝利で、(6000万円から)1200万下がった。今年は一歩も引かない!」
10勝6敗、防御率3.16という成績だが、投球回は192回から116回に激減。「5年連続2ケタ勝利の功績でアップ」と見るか、「それまでの15勝前後をベースにダウン」と見るか、双方の見解は乖離していた(結局は推定7200万円に)。それにしても、勝利のマウンドで笑顔を振りまくさわやかな姿と、怒りをあらわにしたときのギャップに周囲は驚いた。
曲がったことが大嫌い「もう一生リリーフやらない!」 武田一浩(日本ハム)
90年10勝13セーブだったが、「来年もやったら上げてやる」と球団代表に言われ、91年は4勝18セーブで最優秀救援のタイトルを獲得。5000万円が当時一流の証だったが、提示は3100万円→4200万円。
「話になりません。出直してきます」
「ちょっと待て、4700万にするから」
保留したらたった2分で500万円上がった。ならば本来、4700万円スタートではないのか。
「もう一生リリーフやらない! タイトルを獲っても(評価が)変わらない。曲がったことが大嫌いだから」
交渉とはいえ、「正当な評価」ではなく、「駆け引き」を嫌う選手もいるのだ。
「もういたくないよ中日に。どこか(他球団に)行くぞ!」 谷沢健一(中日)
ここまで首位打者二度の安打製造機。しかし満足な額を提示されず、「(球団が)何を考えているか、わからねぇんだよ。もういたくないよ中日に。どこか(他球団に)行くぞ、本当に!」。結局、推定年俸は38%アップの2400万円から推定3300万円に。ここから安打を積み重ね、3年後の85年にみごと通算2000安打を達成した。
「調停は気持ちよくないが、第三者の見た年俸はいくらだ?」 高木豊(横浜)
「悪くても現状維持。10パーセントアップは当然。調停はいい気持ちがしないが、第三者から見た自分の年俸はいくらなのかと考えた」
年俸調停は中間の数字は取らない。そうすると、選手は少しでも額を上げようとして、みんな調停を申請してしまうからだ。どちらかに寄せるのが通常だ。調停委員は「年俸9840万円が妥当」という高木寄りの裁定を下した。
翌93年、高木は打率を.268に下げたものの、3年連続全試合出場を果たした。しかし、94年横浜にFA移籍した駒田徳広(巨人)への資金調達なのか、まさかの戦力外通告で日本ハムに移籍することになった。のちに高木自身は「年俸調停を行った(もめた)ことが解雇の要因になったのではないか」と自己分析している。
「サンタはおるんやねぇ。いい子にしておいてよかったよ」 下柳剛(日本ハム)
65試合登板、チームトップの9勝(4敗)、防御率3.49。初回、二度目の更改では合意せず、12月24日の契約更改で年俸5600万円から倍増。一流の証1億円を勝ち取った(推定1億500万円)。
「サンタさんはおるんやねえ。いい子にしておいてよかったよ」