ジュニア6冠の“異端児”富岡浩介が殊勲の世界ランク奪取 新たな叩き上げが続々とデビューするRE:BOOTジム

船橋真二郎

自信が砕けた富岡浩介の新人時代

今年9月、殊勲の世界ランク奪取を果たした“異端児”富岡浩介 【写真:船橋真二郎】

 デビュー当初の富岡がボクサーとしての非凡な能力以上にファンの目を引いたのが、奔放なパフォーマンスだった。打たせず打つサウスポーで、よける、かわす、だけではなく、タイミングのいいカウンターで鮮烈なKOを演出。一方で、ときにノーガードで構え、パンチをかわしては両手を広げてニヤッとしたり、腰を振ってみせたり……。

 小学生の頃、奇想天外なボクシングで1990年代に一世を風靡したナジーム・ハメド(イギリス)の映像に衝撃を受け、華のある動き、強烈なオーラに憧れを抱いた17歳としては、あくまで魅せるボクシングの一環だったのだが。

「YouTubeとかに試合が載ったら、いろんな大人にガンガン叩かれて、炎上して」

 埼玉県川口市出身で7つ上の長兄・哲也、5つ上の次兄・達也もRE:BOOTジムに所属した元プロ選手。現在も富岡のセコンドに付く父・憲一さんの半ば強制で兄2人が通う南浦和のジムに入ったのは、小学4年生の頃だった。

 ただし、ボクシングのルーツは別にある。現・日本スーパーライト級3位で従兄弟の富岡樹(角海老宝石)が練習していた地元川口のジム。元世界5階級制覇のフロイド・メイウェザー(アメリカ)をベースに特徴的な打たせず打つボクシングを教え、富岡も出稽古に訪れていた。

 物心つく頃からボクシングは身近で、見るのは好きだったが、「怖くて、自分がやるのは考えられなかった」という少年が、打たせないスタイルに惹かれるのは自然なことだったかもしれない。

 自分に合った戦い方と出会い、夢中になって練習し、結果を出すことになるのだが、自身の憧れ、理想をプラスした奔放なスタイルは当時から“異端視”された。勝利を確信した試合で相手の手が上がるなど、そう感じることが何度もあったという。プロに進む決断を早めた理由になった。

 デビューの翌年、最有力の優勝候補として勝ち上がった東日本新人王決勝で落とし穴が待っていた。2回にダウンを奪うも3回に倒し返され、痛恨の逆転TKO負け。「勝つのは当たり前みたいな空気を感じたし、プレッシャーがすごくて」。

 先に倒したところで焦って仕留めに行き、相手の頭と激突。鼻が折れ、集中が散漫になった一瞬を突かれた。自身への辛辣な視線に対する反骨も心を乱した一因だったのではないか。

 さらに試練は続いた。のちの日本スーパーフライ級王者で、強打で鳴らした高山涼深(ワタナベ)に3度倒される初回TKO負けで連敗。問答無用の完敗に自信は砕けた。

自分はひとりじゃないと知った再起戦勝利

デビューから約5年の昨年10月、KO勝ちで初の日本ランク入りを決めた富岡 【写真:ボクシング・ビート】

 デビューに際し、プロ加盟ジムの中からRE:BOOTジムを選んだのは、2人の兄との縁はもちろんだが、理解者の存在が大きかった。

「射場さんは、僕のボクシングを否定しないで個性として尊重した上で、新しい技術をプラスする教え方をしてくれました」

 この関係性があったからこそ復帰も決め、2人でスタイルの変更にも着手した。

 それでも若い心は揺れた。勝っても、負けても引退する――。そう心を定めて臨んだ十代最後の再起戦。1年5カ月ぶりの勝利が忘れられないという。

「応援してくれる人は減ったけど、泣いて喜んでくれる人たちもいて。こんなに思ってくれるんだ、ひとりじゃないんだって」

 ガードを上げ、どっしりと構え、最小限の動きで攻防を展開するボクシングを自分のものにしていった。

 多くのトップボクサーが師事する寺中靖幸フィジカルトレーナーの指導も受け、線が細かった体は太く、ボクシングも力強さを増した。減量、コンディショニングも学び、1階級下のフライ級を主戦場とした。

 フィリピンの強豪からダウンを奪いながら、やや不運な流れからの一撃に泣いた逆転KO負け、現・日本王者の野上翔(RK蒲田)を終盤に倒して食い下がるも1-2の判定で競り負けるなど、勝ちきれない試合もあったが、紆余曲折の道のりを力に変えた。

「いろんな経験をしてきて、振り返るとデビュー当時は若かったなと思うし、ボクサーとしてだけじゃなくて、僕の人生にとっても大きかったと思います」

 次の目標は地域タイトル。ベルトを巻くことで「また一段、変われる」という思いもあるし、志半ばで引退した兄2人を受け継ぎ、「お父さんにベルトを渡したい」という思いもある。

 スタイルを変え、スリリングな激闘が増えた。もともと観客を楽しませ、沸かせたいという気持ちが強く、自分らしいと笑う一方で、今も形を変えた理想のボクシングが胸にある。思い描く姿とのギャップは大きく、それを追い求めることが小、中学生の頃と変わらず楽しいという。

 たくましく成長した“異端児”が、この先、どんなボクシングをリングで体現するのかも楽しみにしたい。

さまざまな準備が結実した赤城凱の勝利

“場慣れ”の一環として先輩・金城隼平の日本ユース・バンタム級王座防衛戦でベルトを掲げてリングインした赤城凱(2025年5月13日) 【写真:船橋真二郎】

「ほんとに堂々と戦って、むしろ楽しんでるぐらいだったんで。うちのジムに来た頃を考えたら、信じられないですよ」。射場会長が目を細める。

 赤城(20歳)は今年7月27日、東京西部の立川でフェザー級4回戦に臨み、3-0の判定勝ち。鍛え上げてきたフィジカルの強さも生かして圧力をかけ続け、まさに堂々の初陣を飾った。

「面倒を見てくださった方たち、家族、特に父親に今までの成果を見せられたと思うんで。まずは一安心です」

 2023年にJCL全国大会で優勝。前年の11月、射場・JCL委員長の発案でスタートし、初開催されたJCLトライアルマッチに出場したひとりだった。ルール等はJCLに準じ、プロの興行に組み込まれ、観衆の前で戦う。プロ志望の高校生年代がプロと同じ環境で経験を積むことを目的とする。

 自他ともに認める「緊張しい」で、トライアルマッチのほか、ジムの先輩で現・日本バンタム級8位の金城隼平の日本ユース王座防衛戦でベルトを掲げて一緒にリングインするなど、射場会長が時間をかけて“場慣れ”させてきた。

「おかげで試合に集中できた」と赤城。プロボクサーを志して、厳しいトレーニングを始めてから5年。さまざまな準備が結実した勝利だった。

 15歳になる頃、父親に「将来、何をやりたいか」問われたとき、すでに赤城の答えは決まっていた。もともと格闘技を見るのが好きで、ずっと心に残っていたのが若き日の鍛えられた体をした父親の写真だった。ボクサーを断念した過去があると知り、「自分が」という思いを抱いてきた。

 朝6時から10kmのランニングを半年。そこに寺中トレーナーのフィジカルが加わり、さらに数カ月。息子の本気を問い、心身の土台を築く父親のテストをクリアし、やっと寺中氏の勧めでRE:BOOTジムに入った。

 父親の仕事の関係で、幼い頃はオーストラリアやUAEで長く暮らし、帰国後も家庭を拠点に学習するホームスクーリングが基本。ジムというコミュニティでの立ち振る舞いに戸惑い、迷惑をかけたと振り返る。「優しい先輩方のアドバイス」でさまざまなことを学んだ。

 デビュー戦の入場直前、セコンド、ジムメイトたちと円陣を組み、気勢を上げた瞬間から過度な緊張から解放され、覚悟が決まった。生まれて初めての仲間たちの存在が「心強かった」という。

 来年の新人王戦を勝ち抜き、ジム初の全日本新人王獲得が目標。その前、12月17日に後楽園ホールで2戦目が決まった。相手の永野友己(横浜光)は名門・日章学園高校でアマ経験がある。勝利で弾みをつけたい。

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著者プロフィール

1973年生まれ。東京都出身。『ボクシング・ビート』(フィットネススポーツ)、『ボクシング・マガジン』(ベースボールマガジン社=2022年7月休刊)など、ボクシングを取材し、執筆。文藝春秋Number第13回スポーツノンフィクション新人賞最終候補(2005年)。東日本ボクシング協会が選出する月間賞の選考委員も務める。

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