中日・落合博満監督が流した“最初で最後の涙” 2006年日本シリーズ敗退の理由、オフに獲得を狙った小笠原道大
森繁和は、すべてを任せられる参謀である。
私の中日ドラゴンズでの8年間、
勝負の本質は彼なくしては語れない。
「そろそろ当時のこと、話そうか?」
栄光も屈辱も経験 ドラゴンズでの14年間
すべてを知る男
14年間で四度のリーグ優勝と53年ぶりの日本一
それでも願わくば、もう一度強い中日を見せたかった
『回想 栄光も屈辱も経験 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男』(森繁和著)から一部抜粋して公開します。
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落合さんが流した涙
この年は阪神が昌を打てなかった。振ってきてくれるチームは昌の思う壺だったのだ。だから昌が阪神戦に当たるようにローテーションを組むようにしていた。若くて速いボールを投げるピッチャーもたくさん出てきていたけれど、阪神打線には昌の130キロぐらいのあのストレートが速く見えていたことだろう。この9月の阪神戦での昌の2勝は本当に大きかった。
リーグ優勝を決めたのは東京ドームでの巨人戦。覚えている方も多いと思うが、延長十二回までもつれた試合は孝介の劇的な勝ち越しタイムリーとウッズの満塁ホームランで決着がついた。半分以上中日ファンで埋まった東京ドームは大興奮となった。そんな中で殊勲のウッズをベンチ前で出迎えた落合さんは、珍しくウッズに抱きつくとしばらく離れなかった。球場の興奮が少し落ち着いてから、ふとベンチで隣を見ると落合さんがタオルで顔を覆うほどにワンワン泣いていた。まだ裏の守りが残っているのに(笑)。優勝を確信させる一打がよほど嬉しくて、それまで堰き止めていた何かが崩れたのだろう。特にあの頃は東京ドームではサヨナラホームランとか大事な場面で打たれたりとか、いろんな痛い目に遭っていたことが多かった。そういうこともあってのことじゃないかなと思う。そのあとの優勝インタビューでもずっと泣いていたが、落合さんに仕えた8年間、私が見た最初で最後の涙だった。
優勝した夜は私がコーチを引き連れて六本木に呑みに繰り出した。でも落合さんはそこにはいなかった。お金だけ出して「行ってこい」みたいな感じでね。中日ではリーグ優勝4回、日本一1回で合計5回優勝しているけれど落合さんは一度もそういった飲み会には参加していない。記憶にあるのはニューオータニのプールで騒いだことぐらい。こういう日は私もたくさん飲むから記憶が定かではないのだけれど。
FAで獲りたかった小笠原道大
シリーズ前に監督と何か話したりということは特になく、いつも通りで臨んだ。ただダルビッシュが2回来たら2敗するという想定はしていた。それが第一戦でダルビッシュに勝てた。それで「いける!」とまでは思わなかったけれど、「これで勝負はできるかな」というくらいは思った。だがその後は昌、朝倉、中田で行って全部負けて、最後は憲伸で負けた。投打にあれだけの選手がいて、チーム打率もチーム防御率もリーグ1位で圧倒的な強さでリーグを制覇したチームがあっさりと負けた。
敗因をよく聞かれたけれど、単純に当時のパ・リーグが強かったこともあるし、このときの日本ハムはピッチャーも良くて、やっぱり強かった。あとは新庄剛志が引退するかなんかで結構日本ハム寄りの空気になっていたのもあった。でも一番大きかったのはパ・リーグにだけクライマックスシリーズがあったことだと思っている。この年のセ・リーグにはまだなかったのだ。だから優勝後の試合勘やコンディション調整の問題もあったし、日本ハムはクライマックスシリーズで試合をやってきているし、勝ち抜いてきた勢いもあった。2004年に西武に負けたときと同じような形でまたもや敗れた。
日本シリーズで敗れた日本ハムから小笠原道大がオフにFA宣言をした。これは中日も獲りに行ったし感触もかなり良かった。小笠原が所属していたNTT関東(現・NTT東日本)の監督が駒澤大OBだったためプロ入り前から小笠原のことは知っていたし、私が日本ハムでコーチをやっていたときは2年間一緒にやっている。出身もお互いに千葉県。日本ハムが試合で名古屋に来るときはよくメシを食ったりもした。落合さんも現役の最後に日本ハムで一緒にやっていたという関係性もあった。
小笠原とは細かな条件の話までしていたけれど、最終的に巨人に決まった。争奪戦に我々は敗れた。
もしもこのとき小笠原が獲れていたら、サードにはポジションを奪ったばかりの森野がいたので守るならファーストだっただろう。ファーストのウッズは、確かにバッティングは圧倒的なものがあったけれど守りと走るほうが全然ダメだったし、年齢的な部分と年俸が高額という問題があった。この年で契約も切れるということもあったから、ウッズを切ってファーストで小笠原を使っていた可能性はあったはずだ。ウッズは翌年も、その次の年もホームランを量産してくれたけれど、やっぱり力はちょっとずつ落ちていってはいた。