リーグ連覇を目指した2005年の落合ドラゴンズ 岡田阪神を猛追するも引き離された要因とは?
森繁和は、すべてを任せられる参謀である。
私の中日ドラゴンズでの8年間、
勝負の本質は彼なくしては語れない。
「そろそろ当時のこと、話そうか?」
栄光も屈辱も経験 ドラゴンズでの14年間
すべてを知る男
14年間で四度のリーグ優勝と53年ぶりの日本一
それでも願わくば、もう一度強い中日を見せたかった
『回想 栄光も屈辱も経験 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男』(森繁和著)から一部抜粋して公開します。
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痛かった交流戦のつまずき
この年のローテーションを考えたとき、憲伸、昌、ドミンゴの三人である程度の計算をしていた。この頃は99年にMVPを獲っていた左腕の野口茂樹もいたが前年が4勝8敗でちょっと力が落ちてきていた。落合さんも「野口を使うんだったら若い人をどんどん使っていきたいな」ということは前から言っていた。だからそこまで計算もしていなかった。
その「若い人」の一人がルーキーの中田だった。キャンプでボールを見たときに、良いフォークボールがあったから上手くいけば5勝、6勝はできるかなとは思った。先のことを考えたら、いつまでも昌、野口という時代ではないし、こういう若い奴らもどんどん使っていかないといけないとは考えていた。でもここからあと10年も昌が投げるなんてこのときは思わなかったが(笑)。
開幕は川上が完封、アレックスがサヨナラホームランで勝利。4月は16勝9敗で終えて、最高のスタートがきれた。つまずいたのがこの年から始まった交流戦だった。交流戦前のヤクルト戦でウッズが死球に怒って相手投手の藤井秀悟を殴ってしまって10試合出場停止になったことが痛かった。ウッズは四番DHで使うつもりだったから、いきなり四番がいなくなったし、代わりにファーストを守らせるつもりだった選手もいたから構想が大きく狂ってしまった。
交流戦はそういうこともあったから五分でいければいいな、大きく負け越しさえしなければいいなと落合さんとも話していたけれど、15勝21敗と不安が的中。交流戦前は2位阪神に5ゲーム差の首位だったのが終わってみれば3ゲーム差の2位になっていた。それでもそんなに慌てることはなかった。オールスター休みまでに貯金があればいいけれど、最悪五分でもいいんじゃないかとも落合さんとはいつも話していた。
大きく負け越した交流戦だったけれど、何もしていないわけではなかった。交流戦の対策として落合さんはパ・リーグ6球団にもスコアラーをつけていた。セ・リーグの対戦5球団にはそれぞれ専属のスコアラーがいたが、例えば交流戦明けの最初のカードが広島だとすると、そこから逆算して、一番先に対戦が終わるパ・リーグの球団に広島担当のスコアラーを回したり、そうやってパ・リーグの試合もチェックするようにしていた。
あの頃は資料も基本的にまだ紙で、手渡しが多かった時代。新幹線がすれ違う駅のホームで資料をチームに渡したらすぐ乗ったり、東京駅で待ち合わせして他の球場に行ったりなどスコアラーも大変だった。でもみんな一生懸命に考えてやってくれていた。
スコアラーにも実力差みたいなものがどうしても出てくる。だからAというスコアラーが担当している球団にはよく勝っているのに、Bというスコアラーが担当している球団には全然勝てないときなどは担当チームを変えるようにもしていた。勝てないのはもちろんスコアラーだけの責任ではないのだけれど、良い情報、資料を作ってくれて結果が出たときには「ちょっとBが担当している球団をやってくれ」と言うようにした。やっぱり対戦結果に偏りがあると、スコアラーの入れ替えはやらざるを得ない。
優秀なスコアラーとして直ぐに名前が浮かぶのは前田新悟と佐藤秀樹の二人だ。前田にはヤクルトに勝てないときに「ちょっとヤクルトの方をやってくれ」と頼ったこともあったし、佐藤にもよく要望を出した。例えば巨人のある選手に「これだけ打たれている」と相談したら、あいつもピッチャー出身だから、ピッチャー側から見たデータと他球団のデータを使って「この辺がうちと攻め方が違います」みたいに他球団の攻め方という視点から対策を考えてくれたりもした。
こういったことは正捕手である谷繁にも言わなければいけない。私はこのときは投手コーチだから、谷繁に言うべきことがあった場合などはバッテリーコーチの秦真司を通じて言うようにはしていた。キャッチャーはそういうことを言われると面白くないということも当然出てくる。「こうやって打たれているから今回はちょっとこういうところを考えてやってみてくれ」と言っても、「ピッチャーがそこに投げられなかったら何にもならないですよ」と言われるようなこともあった。でも確率的にストレートより変化球、高めより低め、外より中というのがある程度データとして出ていたら「そういうやり方でちょっとやってみてくれ」ということも言いやすくなるのだ。