回想 栄光も屈辱も経験 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男

2月1日から紅白戦、6勤1休…落合ドラゴンズ初年度の春季キャンプ 「なんだこれ?」その場が凍り付いたコーチミーティング

森繁和

【写真は共同】

<落合博満氏推薦>
森繁和は、すべてを任せられる参謀である。
私の中日ドラゴンズでの8年間、
勝負の本質は彼なくしては語れない。

「そろそろ当時のこと、話そうか?」
栄光も屈辱も経験 ドラゴンズでの14年間
すべてを知る男

14年間で四度のリーグ優勝と53年ぶりの日本一
それでも願わくば、もう一度強い中日を見せたかった

『回想 栄光も屈辱も経験 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男』(森繁和著)から一部抜粋して公開します。

その場が凍り付いたコーチミーティング

 キャンプインの前日、選手全員を集めて全体ミーティングが行われた。

 この場で落合さんが全員に「このチームでは殴ったりいろんなことがあったけども、そういうのは一切禁止だ。ただ門限を決めるといった管理野球もしない。休みの前日は外泊もOK。その代わりマネージャーにはどこに泊まっているとか、家族が来ているとかちゃんと連絡だけはつくようにしといてくれ」、そんな話をした。要は「お前達を大人として扱うから、その代わり最低限のことだけはやってくれ」ということだ。選手達はみんな「えぇ⁉ いいんだ?」と驚いていた。

 この全体ミーティングが行われる前、まずコーチだけでミーティングを行い、そのあとに落合さんもそこに参加する予定になっていた。翌日からの練習をどういう流れでやるのか、先にコーチ陣で確認しておいてくれよというのが落合さんの意図だった。だが、ちょっとした事件が起きた。

 落合さんがミーティング会場に入ると、ホワイトボードには『中日ドラゴンズゴルフコンペ』とあり、組み合わせやスタート時間などが書かれてある。それを見て落合さんの表情が変わった。

「なんだこれ? キャンプメニューがゴルフかい」

 その場が凍り付いた。

「誰がやるって決めたんだ? 俺は一組目? 俺は行かんよ。これ欠席な」

 それまでの中日ではキャンプイン前日にコーチ陣でゴルフコンペを行うのが慣例だったという。私はそんなことは聞いていないからキャンプ地にゴルフセットを持ち込んでいない。そもそもそんな余裕はないと思っていた。初めて中日でコーチをやる連中は前日にゴルフコンペをやるなんてそもそも知らない。高代は星野監督時代にコーチをやったことがあるのでコンペのことは知っていたみたいだけど、でもこのときはゴルフセットを持ってきていなかった。もちろん落合さんも。ゴルフをやる気だったのはOBのコーチ陣だけだった。

 今にして思えばだが、こういうところでもOBコーチ陣と落合さんが呼んだコーチ陣との間に、そもそもの考えた方の違いというか温度感の違いみたいなものがあったのかもしれない。

 落合さんはそういったところを見越していたからこそ、投手だったら私、打撃なら石嶺のように、要所のコーチにはOBと自分が呼んだコーチの二人を置いていたのかもしれない。球団から「OBを使ってくれ」と頼まれれば「いいですよ」と落合さんも言ったけれど、「でも駄目なときは代えますからね」ということも言っていたそうだ。実際シーズン途中に、ベンチ担当だった孝政とブルペン担当だった私が入れ替わり、その後は二軍の近藤真市と孝政が入れ替わったこともあった。そのことはまた後で話そう。

 いずれにせよ、『監督・落合博満』がどういう人かということを、不思議なもので中日時代に一緒にプレーしていたはずのOBコーチ陣があまり分かっていなくて、パ・リーグで別々のユニフォームを着ていた私や高代や石嶺のほうがよく分かっていた。

キャンプで一番きつかったこと

 2月1日に紅白戦を行うこと、6勤1休とすることなどは前年秋のキャンプで選手達には伝えられていた。紅白戦ではピッチャーは一人1イニングだけ投げられる状態で来てくれと伝え、それを見て一、二軍を分けるということも話した。ちなみに初日に紅白戦をやったのは初年度だけで翌年からはやっていない。

 今までだったら秋季キャンプが終わると選手達はすぐ休んでしまっていただろうし、中日の場合はちょっと活躍しただけの選手がオフに野球教室やサイン会、一日警察署長とかをやったりして毎日いろんな〝野球以外のこと〞で忙しいということを落合さんも知っていた。だが2月1日に紅白戦をやるとなると、そこに合わせてゲームができる体の状態にしておかないといけなくなる。初日に紅白戦を行う目的はそこにあった。

 紅白戦で最初に投げたのは川上憲伸。例年であれば133キロくらいから始まってそこから状態をあげていくものだが、いきなり145キロくらいのボールを投げた。これには「初日からこんなに出るのか⁉」と私も驚いた。落合さんも「やれと言ったらちゃんとできるじゃん」とそれはものすごく喜んでいた。それくらい投手陣は秋季キャンプの状態のままで来てくれた。

 1年目のキャンプは練習が長くてコーチ陣もきつかった。でも一番きつかったのは監督の部屋で何度か朝まで飲んだこと(笑)。監督の部屋には小さいサウナがあるのだが、こっちが練習で疲れて部屋でゆっくりしようと思っているところに「シゲ、サウナ熱くなってるぞー」と電話がかかってくる。そう言われたら行かないわけにはいかない。いつもサウナに2、3回入って大きな水風呂に浸かって、そうするともう気持ちがいい。そこで「おい、ビールあるぞ」「じゃあいただきます」と1本飲んで、「じゃあメシ行くか」と食事会場に行く。監督室には高い酒もあってラウンジまである。私と高代と佐藤さん、石嶺、勝崎がいて、宇野もいたかな。毎回同じメンバー。酒は監督が一番強くてなかなか寝ないので困った(笑)。隣にいる佐藤さんが「早く帰ろう」といつも足を蹴って合図をしてくる。それで一人ずつポツポツいなくなって、最後まで残っているのはいつも私と佐藤さんと石嶺。勝崎も酒が好きなのだけど酔っ払うといつも寝る。宇野もすぐ寝てしまう。外が明るくなってきても監督はまだ呑んでいる。1年目は呑み会が一番きつかった(笑)。

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