チームを立て直した、新人監督たち

迷いがなかった新人・源田壮亮の抜擢と森友哉の捕手起用 元西武監督・辻発彦が明かす舞台裏

永松欣也

辻監督就任1年目の2017年、西武はレギュラーシーズンを2位で終え、3年連続Bクラスの低迷から脱した 【写真は共同】

 プロ野球の世界では、成績が奮わなければ監督交代となることも珍しくない。球団は新たな監督にチームの立て直しを託すわけだが、監督経験のない「新人監督」にそれを託す場合もある。2016年オフ、3年連続Bクラスに低迷していた西武は、当時中日のコーチだった球団OBの辻発彦にそれを託した。「新人監督・辻発彦」は、チーム状態をどのように捉え、どこから立て直しに着手し、どのようにシーズンを戦ったのだろうか? 2018、2019年にチームをリーグ連覇に導いた辻氏に、監督時代を振り返ってもらった。

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「結果を恐れずに最後まで戦ってくれ」

 ライオンズから監督就任の話があったのは2016年の秋、中日でまだ一軍作戦兼守備コーチをしているときのことでした。鈴木葉留彦さん(西武編成部部長兼球団本部長/当時)から「来年の監督をお願いしたい」と連絡をいただき、その後名古屋でも会って話を聞きました。3年連続Bクラスに低迷していること、それを立て直すために監督をお願いしたいと、そんなことを言われました。

 当時の中日の監督はライオンズ時代からの先輩でもある森繁和さんで、GMは落合博満さんでした。お二人にも「西武からこういう話が来ています」と当然報告をさせてもらいました。「ダメ」と言われたら断るしかないと思っていましたが、お二方とも「コーチなら行かせないけど、監督という話なら行け」というようなことを言ってくださり、背中を押していただきました。

 いきなり優勝を狙えるようなチーム状態でもなかったので、最初に考えたのは、最低でもAクラスに入ることを目標に、1年1年、自分なりに一生懸命にやることでした。

 監督になるにあたってコーチを集めなければいけません。ですがこのときは何人かの一、二軍の入れ替えはあったものの基本的には留任のコーチが多く、フロント主導で決めてもらうことになりました。私から出した唯一のリクエストは、この年まで一軍で内野守備走塁コーチをやっていた奈良原浩(現ソフトバンクヘッドコーチ)を残してほしいということだけでした。現役時代に二遊間を組んでいたライオンズの後輩で、中日の二軍監督時代も一緒にやっていましたからね。でもこの年で退団するのが決まっていていたのか、チームに残すことは出来ませんでした。それで内野の守備、走塁を任せることができるコーチは誰かと考え、韓国でコーチをやっていた馬場敏史(現阪神二軍守備走塁チーフコーチ)と繋がりがあったので「馬場を呼ぶことはできますか?」と球団にお願いして招聘しました。

 監督就任早々の秋季練習。3年連続Bクラスという状態でしたから、まず考えたのは選手たちの気持ちの部分から変えていこうということでした。監督、コーチ、球団が一生懸命でも選手たちがその気にならないとダメですから。そのためには選手たちが変わらないといけません。ですので、「シーズンが始まれば勝つことも負けることも当然あるけれど、負け慣れしていると諦めるのが早くなってしまう。でも結果を恐れずに最後まで諦めずに戦ってくれ。これだけは絶対に守ってくれ」という話をしました。

 選手を見ていて思ったのは、再び常勝軍団にするには投手陣と守備力に課題があるということ。特に投手陣は先発の駒が足りていないと感じました。菊池雄星が初めて二桁勝った年でしたが、二桁勝利7度のエース岸孝之が私と入れ替わるようにFAで楽天に移籍しましたし、後にエースとなる髙橋光成も2年目でこの時はまだまだでした。今井達也もこの年のドラフトでの入団でしたしね。菊池以外に名前が挙がるのは野上亮磨、多和田真三郎、十亀剣、あとは外国人。この辺の選手に頑張ってもらわないといけないと考えていました。

 一方で野手にはベテランの中村剛也、栗山巧がいて、これから脂がのる秋山翔吾、浅村栄斗がいて、若い森友哉がいる。山川穂高、外崎修汰も出始めていて、楽しみな選手が多いなと思っていました。

キャンプ初日に目を奪われた源田の守備

就任1年目の春季キャンプでドラフト3位ルーキー・源田壮亮の守備練習を見守る辻監督 【写真は共同】

 課題の守備力を改善させるためには、まずは固定できていなかったショートに守備で計算ができる選手が欲しいと思っていたところに、ドラフト3位で源田壮亮が入団してきました。源田の指名は私がリクエストしたわけではありません。渡辺久信SD(当時)や編成部の方で「ショートを任せることができる選手が必要」という認識をすでに持ってくれていたのだと思います。ドラフト前のスカウト会議では中京学院大の吉川尚輝(巨人1位)、日大の京田陽太(中日2位/現DeNA)の名前も挙がっていましたが、彼らは1位、2位で消えるだろうと言われていましたから、それで3位で源田を指名したのでしょうね。

 この年に限らずですが、僕はドラフトで獲る選手に関しては「この選手が欲しい」とか「このポジションの選手をお願いしたい」など、あまり言うことはありませんでした。映像で見ただけで僕が判断できるものではないですし、一番確かなのは1年間ずっと見てきたスカウトの目ですから。もちろん補強ポイントについてはSDとも話しますけど、そこはもうフロント、スカウトにお任せしていました。もともと西武という球団は、根本陸夫さんの時代からフロント主導でドラフトを行ってきた球団でもありますしね。

 春季キャンプ初日にルーキー源田の守備を見て、課題のショートのポジションが埋まったとすぐに思いました。守備の動きに全く無駄がなくてバランスが良い。硬さも全くなくて柔らかく、ボールへの入り方も良い。流れるように一連の動作でプレーする姿に目を奪われました。ショートとして理想的な選手で何も指導するところがない。源田を抜擢することに全く迷いはありませんでした。

 唯一の心配は体が細かったことくらいでしたが、源田には体力も十分ありました。キャンプできつい練習をやらせても音を上げない、ヘロヘロになった姿を見せないのです。疲れる選手は全ての動きに無駄があったり、余計な動きがあったりしますからすぐにバテるのですが、無駄な動きのない源田にはそれがない。ですのでもう、シーズンが始まったら打てなくても行けるところまで源田を使うつもりでいました。

 源田にはとにかく打つことよりも、1試合でも多く守備で貢献してもらいたいと考えて使っていたのですが、それが打つ方でも打率.270、155安打と大活躍でした。スカウトからは「トヨタでは9番を打っていました」「反対方向にゴロを転がすようなタイプの選手です」という話を聞いていたので、打つ方では期待はしていなかったのですが、キャンプではインコースの厳しいボールをしっかりと引っ張っていました。本人にスカウトからの話をすると、「『足があるし、左だし、反対方向に打つ選手を目指しなさい』と言われていました」と言っていました。トヨタではチームバッティングに徹していたようですが、本来はしっかり引っ張れるバッターだったんですね。

 僕の理論ですが、引っ張れないと反対方向にも強い打球は打てないものなんです。引っ張れないバッターを僕は良いバッターだと思いません。だからインコースをしっかり引っ張れる源田を見て、バッティングも絶対に良くなると思いました。

 源田は結局シーズンを完走して、ショートでは史上初となる新人でフルイニング出場を果たしました。本当にあれよあれよという感じでしたね。源田がショートで1年間出てくれたのは本当に大きかったですね。

 キャンプで抜擢を考えたもう1人の選手が4年目になる森友哉でした。第一クールで見て「キャッチャー1本で使っていこう!」と決めました。西武には炭谷銀仁朗というキャッチャーがいましたから、それまでの森は外野かDHでの出場がほとんど。でも森を生かすのなら、絶対にキャッチャーだと思っていました。

 中日でのコーチ時代、交流戦で戦ったときに外野の守備でやらかした姿も見ていました。ですが、ずっとキャッチャーをやっていた選手です。バッティングを生かすためとはいえ慣れない外野を守ることが負担になり、バッティングにも影響していたでしょうしね。何よりも本人が「キャッチャーで勝負したい」という話もしていましたから。キャッチャー1本化に迷いはありませんでした。

 彼が打線の中心にいれば相手チームにとっては脅威になります。キャッチャーとしてはインサイドワークなどの課題もありましたけど、バッティングが良いからこそ、キャッチャーとしての守りには多少目をつぶってでも使いたいという気持ちになった選手です。

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著者プロフィール

1976年、大分県速見郡生まれ。多くのスポーツサイトの企画・編集、ディレクターなどを経てフリーランスに。現在は少年野球、高校野球サイトのディレクターを務めながら書籍の企画・編集も行っている。主な書籍は『星野と落合のドラフト戦略』『ジャイアンツ元スカウト部長のドラフト回想録』『回想 ドラゴンズでの14年間のすべてを知る男』など。

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