きつい練習も楽しめた近藤健介の「成功体験」 父が学んだ子の成長を「見ておく大切さ」
豪快なホームランや華麗な打撃技術の裏には、派手さとは無縁の「ふつうの家庭」の物語がある。父・近藤義男さんは、息子に"やらせる"のではなく、"やりたいことをとことん応援する"姿勢を貫いた。
結果として生まれたのは、努力を自ら楽しみ、壁を越える力を備えた一人のアスリート。「教える」ではなく「見守る」――その実践が、侍ジャパンの主軸を育てた。
書籍『世界一の侍選手の育ち方 ふつうの息子がプロ野球選手になれたワケ』(近藤義男著)から一部抜粋して公開します。
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きつい練習でもニヤニヤしていた健介 練習することで上達する「成功体験」を得る
アップのダッシュは、ゴールラインではなく、ゴールの先まで走る。ストレッチでは、足先、指先にまで意識を通し、細部までこだわる。キャッチボールは1対1でただ投げ合うのではなく、常に状況を想定。自ら立ち位置を変えて、カットプレーや悪送球をイメージし、捕球から送球を繰り返す。ショートバウンドしそうな送球に対して、飛び込んでキャッチするのも珍しいことではなかった。フットワークドリルは、ボールなしで捕球の型を作り、理想の動きを体に染み込ませていく。
同じ指導者として、「こんな練習のやり方があるのか」と学ぶことがいくつもあった。何より、健介がうまくなっていくのが目に見えてわかる。健介にもその実感があったはずだ。どんなにきつい練習であっても、「辞めたい」とか「今日は行きたくない」と言うことは一度もなかった。
親として何よりもすごいと感じたのは、相当きつい修徳学園中の練習に、前向きに取り組んでいたことだ。悲壮感のようなものは微塵もなく、ハードなアップも何やら楽しそうにやっている。正直、「真面目にやれよ!」と思ったこともあったが、あとになって、「あれは野球が楽しくて仕方がない気持ちの表れだったのか」とわかった。
公式戦であっても、試合前に行う「サイドノック」でニヤニヤしながらゴロを捕る姿を何度も見たことがある。特に、自分の思い通りにプレーができたときは、本当に楽しそうな表情を浮かべていた。
なぜ、きつい練習を楽しめたのか。やはり、「うまくなっている」という実感を得ていたからだろう。「この練習を繰り返していけば、こういう技術を手に入れることができる」と、健介の中では先の未来が見えていたはずだ。「成功体験」という表現が合っているかわからないが、練習することでうまくなる経験をできたことは、高校、プロに進んだときにも大いに役立ったのは間違いない。
部活動の良さは毎日できること コツコツ、少しずつうまくなる
ひとつは、「毎日練習ができること」。クラブチームのように土日中心の場合、どうしても試合が主となり、「練習によってうまくなる」という体感を得にくいように思う。土日にうまくいかなかったプレーを平日にみっちり練習して、その成果を週末に発揮できれば、練習の意味がよりわかるはずだ。健介を見ていると、日々の反復練習にコツコツ取り組み、少しずつ、それでも着実に上達していた。
近年、部活動を取り巻く環境が急激に変わり、毎日練習することが難しくなっている。
「練習によってうまくなった」「自分の課題を克服できた」という体感をどのように得るか。指導者にとって、より工夫が必要な時代になったと言えるだろう。
もうひとつは、硬球とは違った軟球の良さである。健介の時代はB号を使っていて(現在はM号を使用)、硬球に比べると直径が2センチほど小さく、10グラムほど軽かった。扱うバットも、中学硬式よりも中学軟式のほうが100グラムほど軽い。私個人の意見としては、「軽い」というのが大きなポイントで、まだ筋力が弱い中学生にとっては、重たいボールを重たいバットで飛ばすのは、身体的負担が強いのではないか。そのときの成長過程に合ったボールとして、軟球は適しているように思う。
第1章で、「幼少期には幼少期にしかできない体験がある」「階段を二段、三段飛ばしにしない」と記したが、中学時代に関してもまったく同じことが言える。中学から硬式野球をプレーする理由のひとつに、「高校野球で使うボールに早く慣れるため」という考えがある。体がある程度強い選手であれば、十分やっていけるだろうが、まだ非力な選手にとっては、階段を飛ばしている場合もあるように感じる。
私がよく出す例に、英語の教育がある。小学生のうちから「英語に親しみましょう」と、文科省が英語に力を入れているが、だからと言って、英会話ができるようになるとは限らない。むしろ、早く取り組み始めたがゆえに、英語に対して苦手意識が生まれる子もいるかもしれない。成長過程を飛び越えるような「先取り」にはマイナス面もあることを、親は知っておいたほうがいいだろう。