侍J好打者を育てた両親の「あり得ない」決断 技術、忍耐、人間性を育んだ中学時代
豪快なホームランや華麗な打撃技術の裏には、派手さとは無縁の「ふつうの家庭」の物語がある。父・近藤義男さんは、息子に"やらせる"のではなく、"やりたいことをとことん応援する"姿勢を貫いた。
結果として生まれたのは、努力を自ら楽しみ、壁を越える力を備えた一人のアスリート。「教える」ではなく「見守る」――その実践が、侍ジャパンの主軸を育てた。
書籍『世界一の侍選手の育ち方 ふつうの息子がプロ野球選手になれたワケ』(近藤義男著)から一部抜粋して公開します。
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やりたいことを存分にやらせてくれた父
近藤 はい、本については聞いています。よろしくお願いします。
――率直に伺いますが、お父さんどんな方ですか。
近藤 小さい頃は本当にいろいろやらせてもらって、自分が「やりたい」と言った習い事は何でもさせてくれました。すぐに辞めたとしても、次のことをまたやらせてくれて、ぼく自身が親の立場になってみて、「なかなか難しいことだな」と感じます。
――「簡単に辞めたらダメだよ。辞めるクセが付くから」とか言いたくなりそうですね。
近藤 はい、本当に。でも、小さい頃にそう言われたことは一度もありません。いろいろなことに挑戦させてくれました。
――覚えている習い事はありますか。
近藤 結構、やらせてもらったんですよね。水泳、書道、剣道、テニス。仲のいい友達がやっていたり、面白そうだったり、そんな感じで始めていました。たしか、テニスはすぐに辞めた記憶があります。人がいっぱいいて、上のクラスに上がれなかったので、面白くなくて。
――いろいろな習い事を経験したことは、どんなふうに生きていますか。
近藤 いろいろなことをやったからこそ、早い段階で、「野球が楽しい」「ずっと野球をやりたい」と思えました。「プロ野球選手になりたい」という気持ちも、最初のうちからありました。3年生の終わり頃に少年野球チームに入ったんですけど、もっと小さいうちから、土日は親が指導していた中学校のグラウンドによく遊びに行っていました。チームに入るのが遅かった分、ほかの習い事を経験できたと思います。
――その「やりたいことをやらせてもらえた」という考えは大人になってから気づいたことですか。
近藤 そうですね、子どもの頃はそこまで考えていないので。大人になってから思うのは、結果的に自分でやりたいことを見つけられたのが良かったのかなと。自分で「野球をやりたい」と思えたのが、大きかったと思います。
――なぜ、そこまで野球が面白かったと思いますか。
近藤 何でしょうね。友達がいっぱいいたので、みんなでチームスポーツをやるのが楽しかったからだと思います。
――お父さんに聞いたら、「健介は小学校の全クラスに友達がいた」とのことですが、本当ですか?
近藤 はい、友達は多かったです。とにかく、外で遊ぶのが好きだったので、ひとりでは寂しいし……。友達を誘って、サッカーや野球やドッジボールなど、毎日遊んでいた思い出があります。
――学校から帰ってきたら、ランドセルを玄関に放り投げて、外に遊びに行く感じですか。
近藤 はい、そんな感じですね。
――お父さんが「ゲームだけは買わなかった」と言っていましたが、そこへの不満はなかったですか。
近藤 なかったですね。たまに、友達の家でゲームをすることもありましたけど、基本的には外で遊んでいました。
――もうひとつ、お父さんから聞いてびっくりしたのが、近所のスーパーの焼き鳥を食べたくて、落花生と物々交換したと。そのうち、お店の中に入って、焼き鳥を売るのを手伝っていたと。
近藤 その通りです。よく覚えています。近くのスーパーにキッチンカーが出ていたんですけど、焼き鳥が美味しそうだったので、どうしても食べたくて。でも、お金は持っていないので、近くの乾物屋で配っていた落花生を焼き鳥屋のおじさんに持って行って、「交換しましょう」という感じです(笑)。そこからおじさんと仲良くなって、お店を手伝っていました。