“ふつうの息子”から世界一の侍選手になった近藤健介 教員を退職した父が「育ち方」を語る理由
豪快なホームランや華麗な打撃技術の裏には、派手さとは無縁の「ふつうの家庭」の物語がある。父・近藤義男さんは、息子に"やらせる"のではなく、"やりたいことをとことん応援する"姿勢を貫いた。
結果として生まれたのは、努力を自ら楽しみ、壁を越える力を備えた一人のアスリート。「教える」ではなく「見守る」――その実践が、侍ジャパンの主軸を育てた。
書籍『世界一の侍選手の育ち方 ふつうの息子がプロ野球選手になれたワケ』(近藤義男著)から一部抜粋して公開します。
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「ぼくがやりたいことは何でもやらせてくれた」
大宮台小は全校生徒90人ほどの小さい学校で、2021年3月に大宮小学校と統合することが決まっていた。健介はみんなと一緒にキャッチボールをしてくれて、楽しそうな子どもたちの笑顔が今でも印象に残っている。
最後に質疑応答の時間があり、あらかじめ5年生の担任に「『校長先生はどんなお父さんでしたか?』と聞いてもらえますか」とお願いしていた。息子の目に、私がどんなふうに映っていたのか、親心として知りたかったのだ。
健介は「うーん」と少し考えたあと、笑顔で答えた。
「ぼくがやりたいってことは、何でもやらしてくれたかな」
父親である私にとって、とても嬉しい言葉だった。
子どもの頃からできる限り、健介の意思を尊重して、やりたいことをとことんやらせてきた。小学4年生に上がる前に少年野球チームの泉谷メッツに入ったが、そこに至るまでには剣道、バドミントン、テニス、水泳と、さまざまな習い事を経験した。習い事を辞めるときにも、「せっかく始めたんだから、最後まで続けなさい」と言ったことは一度もなかった。
いずれは本気で野球をやってほしいと思っていたが、健介自身も野球の魅力にどっぷりとはまり、泉谷メッツ、修徳学園中、横浜高校、北海道日本ハムファイターズ、福岡ソフトバンクホークスと、ひとつずつキャリアを積み重ねてきた。
これまでに、MVP1回(2024年)、首位打者1回(2024年)、本塁打王1回(2023年)、打点王1回(2023年)、最高出塁率4回(2019年、2020年、2023年、2024年)。さらに侍ジャパンの一員として、世界規模の国際大会においてWBSCプレミア12(2019年)、東京五輪(2021年)、WBC(2023年)と、3つの金メダルを手にしている。親としても、誇らしく思う活躍である。
「育て方」ではなく、「育ち方」
これが、本書のタイトルである。
一般的に考えると「育て方」となるが、あえて「育ち方」と表現した。「育てた」というよりも、健介自身が自らの意思で道を切り拓き、目標を次々と実現しているからだ。親として大事にしてきたことは、健介が好きなことを存分に頑張れる環境を作ること。そのために、健介がやりたいことにとことん付き合ってきた。
著者である私、近藤義男のことを簡単に紹介したい。1960年2月24日生まれ、千葉県長柄町出身。県立長生高校から東京学芸大学に進み、大学時代は軟式野球部でプレーしていた。
野球との出会いは、幼少期にまで遡る。父親が千葉県の中学校で教員を務め、野球部の監督をしていたため、グラウンドによく行き、中学生のお兄ちゃんたちに遊んでもらっていた。そこで、野球の楽しさに触れたのが、私にとっての野球の原点である。大学生になる頃には「教員になって、野球の監督をしたい」と考えるようになり、父親も数学科の教員だった影響で数学を専攻した。
1982年から千葉市の公立中学校の教員となり、数学を教えながら、野球部の顧問を務めた。1987年からの3年間は、パキスタンのカラチ日本人学校に勤務して、現地で働く日本人の子どもたちの授業を受け持った。帰国後、研究主任や教務主任を務めたのち、2013年から土気中学校の教頭、2017年からは前述した大宮台小で校長に就き、2020年3月で退職した。
教員をやりながら、同時に中学軟式野球の普及と発展にも力を入れ、1999年には千葉県中学生野球連盟を設立。2009年に日本中体連野球競技部長、2012年にU-15侍ジャパン(軟式)の編成委員長、2018年には日本中学生野球連盟専務理事に就いた。
現在は毎年11月に静岡県で開催される「全国中学生都道府県対抗野球大会in伊豆」の運営に関わりながら、2016年に健介が設立した「KCアカデミー」(KC練習広場
おゆみ野)の代表として、青少年の野球指導・振興に携わっている。
「KCアカデミー」を一緒に運営しているのが妻の昌子で、東京学芸大でともに数学を学んだ同級生でもある。野球が好きで、健介の追っかけをしていたことは、本書で詳しく触れていきたい。
教員という職業は自由度が高く、とてもやりがいのある、楽しい仕事だった。昨今、「ブラック」と表現されることが増えたが、一度も感じたことがない。
私の好きな言葉のひとつに、「ワークアズライフ」(Work as life)がある。メディアアーティストの落合陽一さん(筑波大准教授)が提唱した考え方で、「仕事とプライベートは地続きでつながっていて、寝ている時間以外はすべて仕事でもあるし、趣味でもある」。この言葉に出合ったとき、まさに自分のことを表しているように感じた。
そのうえで、私が大事にしていたのは、「仕事も趣味も楽しむ」。もっと言えば、「どうすれば楽しめるかを考える」。同僚の先生によく言われていたのは、「忙しそうだけど楽しそうだね」。私にとっては素晴らしい褒め言葉である。子育てに関しても、大変なことはもちろんあったが、夫婦で楽しみながら日々の生活を送っていた。