異色のセカンドキャリアを歩む元Jリーガー

父の会社で副社長を務める徳永悠平と団子販売に携わる中村北斗が直面した困難 国見高の先輩後輩ビジネス対談(前編)

元川悦子

特徴や素材、製品番号を頭に叩き込む

父が経営者だったこともあり、大学時代から起業に興味があった徳永。プロ入り後も早稲田大のOBや起業家から話を聞いていたという 【元川悦子】

――中村さんがゴチソイの仕事を始めた頃、徳永さんも家業のマルトクに入社しました。

徳永 ウチの会社は道路工事に使う側溝や擁壁の販売がメインで、当時は製造も手掛けていました。公共工事が多いんで、経営的に安定しているのはありがたいですね。

 ただ、コンクリート材料の仕入れから販売に至る流れを把握したり、営業先とのネットワークを作るのは重要かつ難しい仕事。それまでサッカーしかやってこなかった自分にとっては何もかもが未知なる世界。会社の人や取引先の人からレクチャーを受けて、一つひとつ知識を叩き込まないといけなかった。「走りながら学ぶ」という感じでした。

中村 僕には想像もつかない仕事ですが、何か苦労話はありますか?

徳永 たくさんあるよ。一例を挙げると、側溝にしても微妙に形が違う製品が多くあるし、壁とか擁壁にしても数えきれないほど種類がある。正直、キリがないくらい。それを覚えるところからのスタートだったね。

 長崎県内に関しては、ある程度、使う製品が決まっているから、少しは楽だったけど、とにかく現物や写真を見て特徴や素材、製品番号を頭に叩き込んでいくしかなかった。正直、頭がパンクしそうだったよ(苦笑)。

中村 道路を歩いていて、縁石の形がどうだとか、工事現場にはどんな資材が使われているかなんて、普通の生活をしていたら考えることはないですもんね。

徳永 そうなんだよね。自分もマルトクに入ってから道路周りのいろんなものに目が行くようになった。東京とか違う地域に行くと「ここではどういうのを使ってるんだろう?」とメッチャ見るようになったし(笑)。

中村 サッカー選手時代とは確かに見える景色が変わりますね。

――徳永さんが奮闘している傍らで、中村さんはゴチソイの仕事にいったん見切りをつけ、現在のつづみ団子のフランチャイズ出店に方向転換しました。

中村 豆腐スイーツは賞味期限が短い分、短時間で大量に販売しなければいけなくて、メドをつけるのが想像以上に難しかったんです。僕としては、移動販売車を購入したりと先行投資もしましたけど、「これで採算を取るのは難しい」という判断に至った。初めてから半年後くらいのことでしたね。

徳永 北斗は子どもが4人いるし、家族の生活を考えるとやっぱり稼がないといけないよね。

転機となった古巣からの出店オファー

04年に福岡でプロ入りし、06年にはJリーグ優秀新人賞 に選出された中村。16年間のプロ生活では怪我に泣かされた時期もあったが、多くの監督から重用された 【(c) J.LEAGUE】

中村 そうなんです。商売の難しさを痛感しました。でも、そのまま立ち止まっているわけにもいかない。「移動販売車を有効活用できる新たな業態を見出したい」と考えていたところ、2018年につづみ団子を創業した地元・諫早の先輩の大石将太さんから「一緒に団子ビジネスをやらないか」と誘いがあったんです。

徳永 つづみ団子は長崎ではよく見るよね。ピースタにもお店が出ているし。

中村 最近はすごく伸びていますね。売る側としては、独自技術で冷凍できる分、販売計画を立てやすい。そこが豆腐スイーツとの最大の違いで、メリットが大きかったんです。

 僕は福岡2店目として出店することになり、妻が営む雑貨店に団子を置き、コストを抑えて販売することにしました。そうすれば、初期投資はショーケースとか備品を買うだけ済む。そうやって堅実に準備して、2021年9月に開店にこぎつけました。

徳永 北斗もいろんなことを考えながら事業を進められるようになったんだね(笑)。

中村 でも、まだコロナ禍ということもあって、大々的な告知もできず、最初は苦戦を強いられました。1年間くらいまでは店舗で地道に販売し、時々イベントや催事で店を出すくらいだったんですが、2022年秋に大きな転機が訪れました。アビスパから「ホームゲーム開催時に出店してみないか」と声をかけてもらい、試合日に販売できるようになったんです。

徳永 古巣のクラブならスタッフもサポーターも北斗のことをよく知っているし、気軽に買いに来てくれるよね。

中村 そうなんです。選手時代のファンサービスの延長みたいな感覚で仕事ができるようになった。それはすごく大きいことでした。

<後編に続く>

(企画・編集/YOJI-GEN)

徳永悠平(とくなが・ゆうへい)

1983年9月25日生まれ、長崎県雲仙市出身。国見高校から早稲田大学に進学。2003年にJリーグ特別指定選手としてFC東京でプレーすると、06年に正式加入。右サイドバックを中心に守備のユーティリティープレーヤーとして評価を高め、04年にはアテネ五輪に出場。09年にA代表デビューを果たすと、12年にはオーバーエイジとして2度目のオリンピックとなるロンドン五輪に出場した。17年シーズン限りで14年在籍したFC東京を離れ、V・ファーレン長崎に加入。地元で3年間プレーし、20年シーズン限りで現役から退いた。

中村北斗(なかむら・ほくと)

1985年7月10日生まれ、長崎県諫早市出身。国見高校を卒業後、2004年にアビスパ福岡でプロ入りし、主にボランチでプレー。ハードワークと密着マークを得意とする「エースキラー」として鳴らす。また、左右のサイドバックやサイドハーフも務めるなど、そのユーティリティ性も高く評価された。09年には国見高時代の先輩である徳永悠平や盟友である平山相太が在籍するFC東京に移籍。14年シーズンは大宮アルディージャでプレーし、15年に福岡に復帰。18年からは地元クラブであるV・ファーレン長崎で2年間プレーし、19年シーズン終了後、現役を引退した。

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著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

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