異色のセカンドキャリアを歩む元Jリーガー

父の会社で副社長を務める徳永悠平と団子販売に携わる中村北斗が直面した困難 国見高の先輩後輩ビジネス対談(前編)

元川悦子

国見高校の先輩後輩で、2学年違いの徳永(左)と中村。プロ入り後はFC東京とV・ファーレン長崎でも共闘した 【元川悦子】

 国見高校の一員として2000度、01年度の全国高校サッカー選手権連覇の原動力となった徳永悠平と、03年度の全国制覇に貢献した中村北斗。先輩・後輩の間柄のふたりが久しぶりに顔を合わせた。20年に現役を引退した徳永は、父が長崎県諫早市で経営するコンクリート2次製品の製造販売会社「マルトク」に就職。現在は取締役副社長として奔走中だ。19年末にスパイクを脱いだ中村は、長崎市で創業された「つづみ団子」のフランチャイズ店を福岡市内に出店し、団子ビジネスを軌道に乗せている。彼らはいかにして今の仕事にたどり着き、どのようにして道を切り開いてきたのだろうか。(取材日:2025年10月3日)

きっかけは息子のアレルギー

――おふたりが会うのは、いつ以来ですか?

徳永 8月24日にV・ファーレン長崎対レノファ山口戦の前座として長崎ピーススタジアム(ピースタ)で行われた長崎OB対国見OBのレジェンドマッチ以来かな。

中村 同期の平山(相太/仙台大監督)や兵藤(慎剛/早稲田大監督)も来たんで、すごく懐かしかったです。

――おふたりとも長崎で引退していますが、キャリアを終える決断を下すにあたって、何らかの相談はしていたんですか?

中村 いや、そうでもないですね。よくご飯は一緒に行っていましたけど、「引退したらどうしようかな」「何かアイディアあります?」といった具体的な相談を悠平さんにしたことはないです。

徳永 2019年のシーズンが終わった後に「辞める」と聞いて、「ああそうなんだ。頑張れよ」みたいなことを言った覚えはあるけど、それくらいだね(笑)。

中村 僕はその後、アビスパ福岡U-18のコーチになることが決まったんですけど、悠平さんに報告するタイミングもなかったかな(苦笑)。

徳永 誰かから「北斗はアビスパでコーチになったらしいよ」と聞いた気がするよ。

――ただ、中村さんはアビスパの仕事を1年で辞めていますよね。

中村 そうですね。ちょうどコロナ禍真っ只中で、「新たなビジネスをやりたい」という気持ちが湧いてきたんです。そこで、2021年頭に豆腐スイーツなど大豆製品の移動販売を手掛ける「GOCHISOY(ゴチソイ)」の仕事を始めました。

徳永 そのきっかけは?

中村 3番目の息子が強度の乳アレルギーだったんです。赤ん坊の頃はミルクはもちろん母乳も飲めなくて、幼稚園に通い出してからは給食を食べられず、僕も含めて家族全体が「毎日の食事をどうしたらいいのか」と頭を痛めていたんです。

 そんなときに出会ったのが、ゴチソイの製品。「豆乳プリンやケーキなどを僕が売るようになれば、アレルギーで苦しむ子供の助けになるな」と思って、2021年頭に移動販売車を入手し、福岡市内で販売を始めました。

徳永 それはホントに思い切ったチャレンジだよね。

学生時代から事業を興したかった

現在は「つづみ団子」のフランチャイズ店を福岡市内で経営する中村。古巣であるアビスパ福岡のホームゲームでも出店している 【元川悦子】

中村 コーチの仕事もその頃はそこまで強い興味があったわけじゃなかったんです。自分の事業を構築して、基盤が確立できたら、またサッカーの方に戻ってきたいなという気持ちの方が強かったと思います。

徳永 その気持ちはすごく分かる。僕もサッカー選手になる前から事業を興したいと思っていたから。早稲田からFC東京入りした20代の頃は、大学OBや起業家の知人に会って話を聞いたりもしていたしね。

中村 悠平さんは東京の大学へ行ってますから、ネットワークがありますよね。そもそも、なんで大学へ行ったんですか?

徳永 自分が行きたかったし、遊びを含めていろんな世界を見たかった。田舎出身の僕にとって大学生活は憧れだからね。

 それに親も小嶺(忠敏)先生も「お前は大学へ行け」と言っていた。ウチの父は国見OBで小嶺先生とも懇意にしていたんで、高校時代は練習が終わって家に帰ると、小嶺先生とコーチと父親がよく一緒に飲んでいたよね(笑)。そういう中から進路も決まったんじゃないかな。

中村 僕の代も平山と兵藤は大学に行ったけど、自分は大学へ行ったら遊んでしまうことが分かっていた(苦笑)。厳しい環境に身を投じた方がプラスだと考えてプロ入りを決めて、アビスパに入りました。

徳永 その選択は北斗らしいね(笑)。

1/2ページ

著者プロフィール

1967年長野県松本市生まれ。千葉大学法経学部卒業後、業界紙、夕刊紙記者を経て、94年からフリーに。Jリーグ、日本代表、育成年代、海外まで幅広くフォロー。特に日本代表は非公開練習でもせっせと通って選手のコメントを取り、アウェー戦も全て現地取材している。ワールドカップは94年アメリカ大会から5回連続で現地へ赴いた。著書に「U−22フィリップトルシエとプラチナエイジの419日」(小学館刊)、「蹴音」(主婦の友社)、「黄金世代―99年ワールドユース準優勝と日本サッカーの10年」(スキージャーナル)、「『いじらない』育て方 親とコーチが語る遠藤保仁」(日本放送出版協会)、「僕らがサッカーボーイズだった頃』(カンゼン刊)、「全国制覇12回より大切な清商サッカー部の教え」(ぱる出版)、「日本初の韓国代表フィジカルコーチ 池田誠剛の生きざま 日本人として韓国代表で戦う理由 」(カンゼン)など。「勝利の街に響け凱歌―松本山雅という奇跡のクラブ 」を15年4月に汐文社から上梓した

新着記事

編集部ピックアップ

コラムランキング

おすすめ記事(Doスポーツ)

記事一覧

新着公式情報

公式情報一覧

日本オリンピック委員会公式サイト

JOC公式アカウント