異色のセカンドキャリアを歩む元Jリーガー

サッカーとは一線を引き不動産会社代表として奮闘 小宮山尊信が業界未経験のまま会社を設立した理由とは?

菊地正典

現役引退から8年。現在、小宮山氏は自ら立ち上げた株式会社ALLSWELLの代表として、不動産業界で活躍中だ 【菊地正典】

 現役時代は横浜F・マリノスや川崎フロンターレなどに所属し、左サイドを主戦場にDFとして活躍した小宮山尊信氏。2017年を最後に選手生活にピリオドを打つと、引退前から「心は決まっていた」という不動産業界に飛び込んだ。しかも、何の経験もないまま自身で会社を立ち上げてのスタート。さまざまなことにチャレンジし、試行錯誤しながら事業を軌道に乗せ、現在は充実した日々を送る。

サッカー選手以外で一番やりたいことだった

――小宮山さんは横浜F・マリノス、川崎フロンターレ、横浜FCで活躍され、日本代表候補に選ばれた経歴の持ち主ですが、現在はサッカー界から離れ、生まれ故郷の千葉県船橋市で株式会社ALLSWELLを設立し、不動産業界で活躍されています。日々、楽しいですか?

 楽しいですね。

――昔はサッカーに限らずスポーツ選手が引退したあとに他業界に行くと、行かざるを得なかったというイメージもありました。

 テレビの影響ですかね。今はそういったイメージはあまりないように思います。

――小宮山さんはなぜサッカー界には残らずに不動産業に転身しようと思ったのですか?

 サッカー選手以外で自分が一番やりたいことだったからです。また、知らない世界への好奇心が強かったこともありました。サッカー界に残り、経験をダイレクトに生かすという考えもないわけではなかったので、現役時代に指導者ライセンスのC級も取りましたが、やはり自分がやりたいと思う方向へと自然と進みました。

――それでもサッカーとは関係のない業種に飛び込もうと思った理由は何だったのでしょうか?

 親の影響は大きいですね。常に自分のサッカーの試合は見に来てくれる傍ら、いざ仕事をしているところを見かけると、非常にかっこいい姿を目の当たりにしていたので、頭の片隅で現役を引退したら同じ不動産業界で親のような働き方をしたいな、と漠然と思っていました。また、もともとサッカー以外の世界のことも知りたいとすごく思っていましたし、現役時代は社会を知らなすぎて、不安と危機感みたいなものもありました。

自分の力で勝負したい、1から作り上げていったほうが面白い

横浜FMを皮切りに、川崎F、そして横浜FCと11年間のプロ生活を全て神奈川のクラブで過ごした 【(C) J.LEAGUE】

――実際に不動産業界で働こうと決めたのはいつでしたか?

 引退すると決めたその日、妻に「不動産屋をやる」と言いました。心はすでに決まっていたと思いますが、いざ口に出したときが覚悟が決まった瞬間でした。

――親御さんの会社で働く、また別の企業で働くなど、いろいろな選択肢があったと思いますが、なぜご自身で会社を立ち上げようと思ったのでしょうか?

 まず自分の力で勝負したいと思いました。頼れる人がいると頼ってしまうじゃないですか。それに1から自分たちで作り上げていったほうが面白いと思いました。

――その選択は正しかったですか?

 正しかったですね。目標に向かう理由や意味、決めるまでの過程に他の誰も関わっていないので、全部が自分ごとです。そこにやりがいと充実感があります。また、やらざるを得ない状況なので、吸収するスピードも早い気がします。

――細かいご苦労やストレスはありますか?

 ありましたね。まだ宅建業者になりたてのときに行った、自社物件の買取業務のときですかね。優良物件はスピード感が求められるので、相手方の仲介業者や売主から素早い判断を求められます。私の場合は代表ですので、「ちょっと待ってください。上席に確認します」ができない。そういうやり取りでは経験不足が否めず、大変さはありました。

 いまも案件によって事情も全く違いますし、法律、税金などの専門の先生とお話しすることも多いので、まだまだ学ぶことは多岐に渡ります。勉強は永遠にしつづけていかなければなりません。また、そのときに得たことが自分自身を成長させてくれましたので、貴重な経験の連続だったと思います。あとはそもそも最初は仕事がないので、仕事を作るのが大変でしたが、体当たり感が楽しかったので、それはそれで良い思い出です。

 親からは、不動産業界で生き抜くための心構えや実務上の指導はしっかり受けました。ただ、全てを手引きしてくれたわけではありませんので、協力は受けながらも、基本は自分で考え、いろいろなことにチャレンジし、試行錯誤を繰り返しながらここまでスタイルを作り上げてきました。

――トラブルになることもありましたか?

 トラブルは特にないのですが、責任が重い仕事なので、会社を始めたころは「とにかく原則に忠実に」と頭でっかちになり、臨機応変な対応ができない場面が多かったように思います。不動産業者との方との進め方で原則どおりにいかないとき、調整に時間が掛かることが何度かありました。間違ったことはしていないのですが、安全な取引は担保したまま、別の手段を咄嗟にお伝えすることが当時はできなかったですね。

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著者プロフィール

福島県出身。埼玉大学卒業後、サッカーモバイルサイトを運営するIT企業を経て、フリーランスに。2025年はサッカー専門新聞『EL GOLAZO』でジェフユナイテッド市原・千葉の担当記者を務める傍ら、サッカー日本代表や過去に担当した浦和レッズや横浜F・マリノス、川崎フロンターレなどJリーグを中心に取材している。著書に『浦和レッズ変革の四年 〜サッカー新聞エルゴラッソ浦和番記者が見たミシャレッズの1442日〜』(スクワッド)、『トリコロール新時代』(スクワッド、三栄書房)がある。

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