異色のセカンドキャリアを歩む元Jリーガー

わずか14試合出場からインフルエンサーに 料理研究家など多くの肩書を持つ小泉勇人が目指す“何でも屋”

舩木渉

現役時代から料理の写真やレシピを投稿していたが、引退した時点でそれがセカンドキャリアに結び付くとは想像していなかったという 【舩木渉】

 サッカー界でも知る人ぞ知る存在だった男が、今やInstagram(インスタグラム)で15万人以上のフォロワーを誇るインフルエンサーに。鹿島アントラーズをはじめ5クラブに在籍し、2023年2月にひっそりとユニフォームを脱いだ小泉勇人は今、料理の活動を軸にアスリートをサポートするなど、スポーツ界を支えている。多くの肩書や資格を生かして活動する小泉が思い描く究極の夢とは――。

料理教室の中で語った壮大な夢

 8月下旬、都内某所のクッキングスタジオ――。

「アスリート飯」をテーマにした料理教室に講師として登壇したその男は、用意された食材を手際よく切って鍋に入れ、調理のデモンストレーションを披露していた。合間には軽妙なトークで会場に集まった20人以上の女性たちを沸かせる。

「僕がJリーガーだったことを知っている方はどれくらいいますか?」

 そんな問い掛けに、手を挙げたのは参加者の半分ほどだったか。目鼻立ちの整った顔立ちと190センチを超える背丈はまるでファッションモデルかタレントのようで、かつてJリーガーだったとは想像しづらい。

 小泉勇人はサッカー界でも知る人ぞ知る存在だった。GKとして2014年に鹿島アントラーズユースからトップチームに昇格したが、在籍した3年半で鹿島のユニフォームを着て公式戦のピッチに立つことは叶わなかった。

 その後、水戸ホーリーホック、グルージャ盛岡(現いわてグルージャ盛岡)、ザスパクサツ群馬、ヴァンフォーレ甲府と渡り歩いたが、継続的に出場機会を得られたのは盛岡時代の半年間だけ。Jリーグでの通算出場数は、Jリーグ・アンダー22選抜での1試合を含めても14試合しかなく、決して華やかなキャリアではなかった。

 だが、今ではインスタグラムで15万人以上、TikTokでも約4万5000人のフォロワーを抱えるインフルエンサーであり、「会社経営者」「料理研究家」「栄養士」「アスリートフードアドバイザー」「カラーコーディネイター」などいくつもの肩書きを持っている。今年4月にはこども家庭庁から「こども家庭審議会委員」にも任命された。

「僕は『引退してもアスリートってかっこいいよね』と言われる世の中にしたい。自分がそのロールモデルになることができればと思っているんです」

 料理教室の中で壮大な夢を語った小泉は、どのようにして自身の「セカンドキャリア」を切り拓いてきたのだろうか。

 現役引退を決意したのは、未所属のまま2023年シーズンの開幕を迎えようとしていた時期だった。その朝のことは「今でも鮮明に覚えている」という。

「その時は東京にいたんですけど、ホテルで目覚めた時に『もう辞めよう』と思って、両親をはじめお世話になってきた方々に引退することを伝えました。いろいろなクラブから(オファーの)お話をいただいていて、どうしようかとずっと悩んでいたんですけど、2月14日の朝起きた時に決めました。なぜそのタイミングだったのかは、自分でもわからないんですけど……」

 2022年シーズン終了後に甲府から契約満了を告げられた。3年半にわたって在籍した甲府でリーグ戦に出場したのは1試合だけだったが、最後の1年は「正直それまでで一番体が動くし、個人的には一番いい時期」だと感じていた。それでも「自分のすべて、アイデンティティであり人生だった」と真摯に向き合ってきたサッカーとの別れを決めた理由は明確だった。

「あの頃は、『やっと技術的にも成熟してきて、これから上にいけるかもしれない』という気持ちと『でもこのままでは続けていけないかもしれない』という気持ちの間で揺れた時期でした。一方で、僕には発信を続けたいという思いがずっとあったんです」

“無職”からの2年半で4冊の著書

現役を引退してまだ2年半だが、健康志向の高いメニューを中心にしたレシピ本をすでに4冊上梓している 【舩木渉】

 引退を決めた2023年当時、小泉はプロサッカー選手だけでなく、すでにインフルエンサーとしての顔も持っていた。

 コロナ禍となった2020年、緊急事態宣言の発令によって外出がままならなくなった時期に自炊を始めた小泉は、それをきっかけに栄養学への関心を深め、独学で資格の取得などに挑戦した。

 2021年7月には「プロサッカー選手の自炊」を記録するためインスタグラムのアカウントを設立し、日々作った料理の写真やレシピを投稿。フォロワーの数が増えるとともに、発信の頻度やクオリティもどんどん上がっていった。

 Jリーガーとして日々の練習や試合にフルコミットしながら、SNSで発信し続けるのは「すごく大変だった」が、栄養学の知識を深めたり、自炊をすることが自らのパフォーマンス向上につながっていることも実感していた。自分の発信を見て喜んでくれる人たちが増えていることもやりがいになっていた。

「毎日投稿するとなったら、サッカーとSNSでの発信のどちらも全力でやるのは難しいということは薄々わかっていたんです。だからといって、カテゴリを下げて地域リーグやJ3のクラブでプレーしながら、どちらかといえば料理に比重を置いて、徐々に軸足を料理のほうへ移していくようなやり方は好きにはなれませんでした」

 鹿島時代にトップレベルで活躍し続ける選手たちと過ごし、その難しさや偉大さを目の当たりにした。水戸や群馬、盛岡、甲府では、環境を言い訳せず、厳しい競争を勝ち抜いて這い上がっていく選手たちがたくさんいた。「そういう選手たちを見てきたので、上に行くには、どれだけサッカーに捧げなければならないかをわかっていた」ことも引退の決め手のひとつになった。

「やっぱりサッカーに愛情を注いできたし、プロサッカー選手であるという立場を使いながらシフトチェンジしていくのは、僕にはできないと思っちゃって。だったらもうサッカーを続けるか辞めるか、どちらかしかないと考えて現役引退を決めました」

 ただ、この時点ではセカンドキャリアについて「何も考えていなかった」という。直前に自らが代表の法人を立ち上げ、いつでも投稿できるように「引退発表動画」の撮影も済ませていたが、準備していたのはそれだけ。どんな道に進むのか、何も決めないまま“無職”になった。

 それから約2年半が経ち、今では「野菜スペシャリスト」「生活習慣病予防プランナー」「腸活アドバイザー」「アスリートフードマイスター」など、栄養や食事に関する資格を活かし、Jリーガーをはじめとしたアスリートたちをサポートするようになった。著書も4冊まで増え、講演や研修への登壇、料理教室などで全国各地を飛び回る忙しい日々を送っている。

「SNSでの発信はセカンドキャリアを意識していたたわけじゃなくて、もともとは自分のモチベーション維持のためだったんです。僕にとって料理自体は特に面白いものではないんですよ。自分の体が変わっていく過程がわかるし、発信することによって反響が得られたのもすごく嬉しかったので、続けられてきたのかなと。それがセカンドキャリアに結びついていくとは、当時は思っていませんでしたね」

 だが、地道に発信を続ける過程で築き上げてきた信頼が現在の活動の礎となり、小泉の中で目指す未来像が「食を基点に多方面から人生を豊かに」「アスリートが引退後も輝ける世の中へ」と明確になっていく。

「『いい大学へ行って、いい会社に就職する』というのは、当たり前にある価値観ですけど、選手としてトップまで行ったアスリートが引退したあともめちゃくちゃ活躍していたら、『スポーツを頑張れ』と応援してくれる人が増えるかもしれないじゃないですか。

 そういったロールモデルがどんどん増えていくと、スポーツ選手を目指す子どもたちが増えて、スポーツを見てくれる人たちもスポーツに流れてくるお金も増えて、市場がもっともっと大きくなって、日本全体のスポーツ文化が発展していくと思うんです。そのための一翼を担える存在になれたら、すごく嬉しいです」

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著者プロフィール

1994年生まれ、神奈川県出身。早稲田大学スポーツ科学部卒業。大学1年次から取材・執筆を開始し、現在はフリーランスとして活動する。世界20カ国以上での取材を経験し、単なるスポーツにとどまらないサッカーの力を世間に伝えるべく、Jリーグや日本代表を中心に海外のマイナーリーグまで幅広くカバーする。

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