リーグ優勝から一転、“96敗”のどん底を経験も「勝っている時の方が苦しい」 元ヤクルト監督・真中満が明かす苦悩
勝ちパターン「ROB」の解体
そんな中で優勝の立役者の一人でもある抑えのバーネットがメジャー復帰を目指して退団し、ロマンも年末に退団することになりました。もちろん痛手ではありました。ですが日本シリーズ第三戦にシーズン1勝の杉浦を投げさせるほど、先発投手が足りていませんでしたから、年間25から30くらい先発で投げてくれる外国人投手が1人、2人欲しいと思っていたところもありました。
翌シーズン以降のことを考えると、外国投手3人に後ろを頼っていても長続きはしないかなとも思っていましたし、彼等の代わりに中継ぎ、抑えの外国投手を獲ろうとは考えませんでした。
優勝したシーズンオフだからこそ、勝ちパターンを一旦ご破算にして、新しく先発投手を強化していこうと考えていました。
ドラフトでも先発投手の補強は考えました。ですがこの年はセンターも補強ポイントだったのです。比屋根(渉)と上田(剛史)が主に出ていましたが、2人とも良い選手ではあるのですが長打力はありません。外野にもう1人長打力がある選手がいると助かると思っていましたので「長打力があってセンターを守れる即戦力の選手がいればお願いします」という話をスカウト会議の席でさせてもらって、「それであれば」ということで球団から名前が挙がったのが明治大の髙山俊選手でした。
その髙山選手は阪神と競合となりましたが、抽選の結果は皆さんご存知の通りです(苦笑)。髙山選手を外した場合は即戦力投手でいこうと考えていましたから、外れ1位には東洋大のエース、原樹里を指名しました。
ドラフトで髙山選手が獲れませんでしたが、打てる外野がやっぱり欲しい。それでオリックスを自由契約になっていた坂口智隆を獲得しました。坂口の獲得は私の方から球団にお願いして獲ってもらいました。坂口はこの数シーズン不調でしたが、翌シーズンは155安打を放つなど、ヤクルトでは完全復活をしてくれました。
痛感した連覇の難しさ
前年に優勝したことでどうしても達成感があって、モチベーションの部分で少し難しい部分もありました。優勝のために8月、9月にかなり無理をしてくれた選手もいましたし、特に中継ぎ陣に前年の疲労を色濃く感じていました。そういう選手達のコンディショニングの面でも難しい部分がありました。
前年は抑えることができていた怪我人も、この年は再び増えてしまいました。首位打者の川端が骨折、雄平が脇腹痛。山田と畠山もデッドボールで怪我をしたりと苦しみました。骨折やデッドボールでの離脱は防ぐのも難しいものですが、怪我人が出て戦力がガタッと落ちてしまうというのは、結局のところは選手層が薄かったということなのです。今年のソフトバンクなどは序盤にあれだけの怪我人が出ながら終盤にしっかり優勝争いをしています。リーグ連覇を狙えるチームというのはそれだけ選手層も厚いということですよね。
バーネットの後釜を期待した、2年目のオンドルセクがシーズン途中で退団したのも痛かったですね。優勝から1年たたないうちにROBが全員いなくなって、先発で期待した新外国人投手も上手くはまらず、この辺も誤算は誤算でした。
怪我人が戻ってきた終盤には盛り返して、一時はクライマックスシリーズ出場を争うところまでは行ったものの、最終的には5位で終了。連覇というのは難しいものだなと痛感したシーズンでした。
勝っているときの方が苦しい
それでも暗くはならず、現在いる戦力でどうやったら勝てるかということを考え、前向きな気持ちは失わずに指揮を執りましたが、それでも勝てませんでした。最終的に責任を取って、シーズン途中ではありましたが8月22日にこのシーズン限りでの辞意を表明しました。
監督生活3年を改めて振り返ると、やっぱり思い出すのは優勝した15年シーズン、優勝争い佳境の9月ですね。ここで勝ちきらないといけない、もう一戦も落とせないという状況が続いて、精神的にもの凄く苦しかったですね。シーズン96敗を喫してどん底の最下位に終わった3年目のシーズンも苦しかったですが、でもあのときの9月の方が苦しかったですね。負けているときよりも勝っている時の方が苦しいということは、監督を経験して初めて分かったことかもしれません。
あの頃、試合前の練習を見ていると優勝経験のない選手達ばかりだったんです。「優勝したら、選手達はどんな表情するのかなぁ」と思ったときに、「何とか優勝を経験させてやりたい」と思ったと同時に、それがプレッシャーとなって襲ってきました。今となっては良い経験をさせて頂いたと思っています。
もう現場を離れて8年になりますが、ネット裏から改めて野球を勉強させてもらっています。もしも話があればですけど、また監督をやりたいなという気持ちは持っていますし、自分がもう一度監督になったときのイメージは色々としています。監督になる準備とまで言ったら大げさですが、機会があればもう一度ユニフォームを着てみたいとは思っています。