佐々木麟太郎が語る想像以上にハードな学校生活 あえて選択した苦難の道を「誇りに思う」
大学の勉強は想像以上に大変
その彼は、ヴァンダービルト大学という野球の名門校出身で、野球部には、キナトラックス、モーション・キャプチャ、トラックマン、ヒットトラックス、フォースプレートといったメジャー並みのハイテク設備がある。充実ぶりはマイナーリーグのそれを上回るため、高卒でドラフトされマイナーリーグを経てメジャーリーグを目指すよりも、大学を経由した方が、早くからメジャーで主流となっている科学的なアプローチにも触れることができる。
ビューラーに確認すると、「その通り」と同意したものの、こう苦笑した。
「でも、大学へ行くと授業に出なきゃいけない」
宿題もある。テストもある。アメリカ人の選手にとっても、野球と大学の授業の両立は簡単ではない。
留学して野球をやろうと決断したとき、もちろん佐々木麟太郎も、「大変だろうな」とは予想した。その程度を仮に「10」だとしたら、実際に体験したいま、その大変さはどれくらいだったのか?
佐々木に聞くと、少し考えて言った。
「100です」
想定の10倍。
「覚悟していたつもりだったんですけど、それでも足りなかったと思います」
具体的に何が大変だったのか?
「英語を使えるレベルではなかったので、書くのも読むのも、すごい時間がかかった」と佐々木。「まずは英語を理解することから始まる。やっとそこから勉強に入っていけるので、人よりも2倍、3倍の時間がかかる。正直、全然、寝られない日もありました」
同じような話を、ゴンザガ大を経て2019年にNBAウィザーズにドラフトされた八村塁(レイカーズ)がしていたことを思い出した。大学3年のときだったか。彼は1年目の大変さをこう明かした。
「授業を理解するには英語を理解しなければいけないのに、その英語が分からなかった」
米メディアに、「こんなに大変だと分かっていたら、(アメリカに)来なかった」とさえ話したこともあり、八村に発言の真意を確認すると「本音ですよ」と自嘲気味に言った。
「もしこういうふうになるって分かっていたら、僕は(米国留学を)しなかったなって思います(笑)。すごいきつかったんで。あの1年目は」
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勉強に充てる時間をなんとか捻出
「やはり、勉強に充てられる時間が限られるから」
学期ごとに履修科目を選択するが、シーズン中はそれを減らすことが可能。卒業のための単位数は決まっているので、他の学期にしわ寄せが及ぶが、佐々木も昨季のシーズン中は、授業のコマ数を減らしたという。ただ、「いまの選手は、それでも大変だと思う」とエドマンは同情した。
どういうことか?
「今年からACC(アトランティックコースト・カンファレンス)に加わったから、移動で、大陸の横断をしなければいけない」
それまでスタンフォード大は、パック12というほとんどが西海岸の大学で構成されたカンファレンスに属していた。その場合、遠征時の移動時間は、長くても飛行機で2時間程度。ところが2020年以降、米大学ではカンファレンスの再編が行われ、スタンフォード大はパック12を脱退し、主に東海岸の大学が所属するACCというカンファレンスに属することになった。結果、2週間に1回程度の割合で、長距離移動を強いられるようになったのだ。飛行時間はざっと片道5〜6時間。佐々木は遅れをカバーするため、その時間すらも勉強時間に充てた。
「本当は飛行機の中で寝たい(笑)。試合もあるので、野球に集中したい。でも、6時間ぐらいですかね。そこしか勉強する時間がないので」
シーズン最後の3連戦(5月16〜17日)がノースカロライナ州で行われ、3日後に、同地でACCのトーナメントが始まった。優勝すれば大学のワールドシリーズに出られるという大会だが、その期間はちょうど、学校の期末テスト、レポートの締め切りのタイミングと重なった。
「他の選手もみんな、勉強していましたね」
ちなみに同じサンフランシスコ郊外にはカリフォルニア大バークレー校という名門大学がある。スタンドフォード大とはライバルで、野球、バスケット、フットボールなどの対抗戦は、伝統的にビッグマッチとして地元では盛り上がる。ただ、学業でも全米のトップを争うライバル。試合よりも授業などが優先されることから、「ウチとバークレー校は、School doesn't care about baseball(学校は、野球に関心がない)なんて言われています」と佐々木は笑った。
ところで、八村に一度、「逃げたくなることはなかったのか?」と聞いたことがある。ゴンザガ大があるワシントン州スポケーンには、気晴らしをするところもない。
すると彼は、「いや、その逃げ場がなかったので」と答えた。期待されて留学。多くの人に支えられた。それを裏切るわけにはいかない。その使命感が彼を支えた。アメリカに来たころ、まだ覚悟が決まっていなかったものの、徐々に決意が固まった。
「こっちに来てからいろいろ感じることがあって、僕にはやっぱり、バスケしかないんだなあってあらためて思った。バスケに対して考え方が変わりました」
バスケこそが、ある意味、逃げ場になった。
「ここまで来たら、人生を懸けてのこと。そう考えるようになりました」